2015-08-22

「放浪息子の帰還」

ただいま。

今朝方、日本時間の7:40に成田着。
そのまま宇都宮行きのバスに乗り込んで、東京を経由せずに常磐道経由で帰宅。
3ヶ月ぶりに帰ってきたというよりは、26年ぶりに振り出しに戻る旅ももうお仕舞い。
まだ何も決まっていない故郷へ向けてバスが走り出したら、頭の中で「ルージュの伝言」が鳴り響く。
ただ、「今」の自分がやるべきことを決め続けてきた、この3ヶ月の続きが明日から故郷で始まるだけのこと。
おかえり、飼い主くん
さて、この不安定なブログも、これでお仕舞いです。
旅行ブログは日常に持ち込むもんじゃない。
最後の数日間はBloggerの不調か、宿の環境の不具合か画像が投稿できなかったので、それをあとで足しとくくらいかな。
ま、奴は故里で楽しくやっていると思っていてくだされば(笑)

そんなことを言って、また「新たなる旅立ち」とか「永遠に」とか「完結編」とかって続くんじゃないか、と勘繰っているそこの貴方!!
貴方です!!
んなこた、ないかんね(笑)
(「20xx」とタイトル末尾に年号をつける手があるな・・・)

では皆様、またご縁を創ってお逢いしましょう。
バイ!!

ログアウト

いま、ログアウトへの扉が開く。
もうすぐさようなら、東南アジア。
またいつの日か。


2015-08-21

歩いた

歩いたなぁ。

お仕事(便利屋)

最近までやっていた仕事。
便利屋もけっこう面白いお仕事でした。
たまたま隣の家が便利屋兼古道具屋で、挨拶に行ったら仕事手伝ってみるかい、ということになったのが発端。
普段は大将のOさんが一人でやっていて、大きな仕事が入ると手伝いに行きました。
だいたいは亡くなった家族の遺品整理や、ゴミ屋敷の撤去、建物取り壊し前の家財処分なんかです。
中身をきれいに出さないと、解体屋は家を壊してくれませんから。
いろんな家のいろんな秘密にも触れてしまう、亡くなった人の秘密にも意図せずして触れちゃう仕事なんで、あまり書くことはありません。
ただ、ものすごい物量のモノの集積から浮かび上がってくる、そこに暮らした人たちの人格や趣味といった、いわば人となりに浸るような仕事には興味深いものがありました。
先週まで孤独死の腐乱死体があった真夏のアパートで、Oさんと二人で一切合切を整理したこともあります。
死体の整理はアレですけど、私は死体がなければ問題ありません。
人格を疑われるかもしれないけれど、そういう仕事もけっこう好きなんです。
やろうと思っても、そのへんで募集なんかしてない仕事ですからね。
Oさんは私よりも6歳年上の厳つい男で、かなり荒い土地柄の育ちですが、とてもよく気の回る、しかも頭の回転の速い人でした。
ひとりで仕事をしているので、いつも効率よく動くことを考えています。
仕事中にトイレへ行くのでさえ、手ぶらで歩くと叱られました。
「ゴミの一袋でも持って行け」
意図のない動きや無駄なステップも仕事中は厳禁でしたし、依頼人のみならず周辺の家への気遣いも尋常じゃありません。
この10年で、私がいちばんダメ出しを受けた人ですね。
「Kioちゃんは臨機応変な柔軟性に欠ける」「正攻法に真面目すぎる」と。
俺がそれを言われるとは・・・
それでも一人で重量物を運ぶ身体の使い方とか、トラックへの積み込みのノウハウとか、いろんなことを学んだ作業は楽しかったです。
死体の臭いがプンプンしようと、仕事が楽しければ関係ない(笑)
この年齢で勉強できるチャンスはあまり無いですから。
昨年末の忘年会では、「Kioちゃんは80点だな」と言われました。
あんだけ働いて80点かよと不平を鳴らしたら、「バッカ野郎!!俺から80点もぎ取ったんだから有り難てぇと思え!!」と逆ギレされました。
Oさん自身、自分に100点をつけられる現場はいまだ無いんだと思います。
100点まであと20点・・・それは職業としての便利屋が、仕事をとってきて、それぞれの品物やゴミをあるべき場所に捌き、生業として何年にも渡って安定して続けていく中で上がっていくポイントです。
私の80点は、いわば一種のアルバイトの便利屋卒業証書でもありました。
もうちょっと勉強したかったというのが本音ですが、まぁ面白い仕事はどこにでもあるんじゃないでしょうか。

出国5時間前

ただいま19時。
無事にハノイのノイバイ空港第二ターミナルに着きました。
ハノイの街を去るに当たっては、一抹の寂しさが。
というよりも祭りが終わるその淋しさ、というべきかな?

事前にローカルバスの発着所まで下調べに行っていたのですが、夕方のラッシュ時に満員のローカルバスにバックパックを持ち込むことは遠慮して、素直にベトナム航空のミニバスを使いました。
17番のローカルバスだと7千ドン、ミニバスは市中のベトナム航空オフィス前から4万ドン。
4万ドンて240円くらいですから、無理してローカルに乗ることもないかなと。
夕方の帰宅ラッシュに巻き込まれながらも、50分で空港に着きました。
で、なにもすることがない。
帰国後の仕事は、いま考えてもしょうがない。
せいぜい上手く行かなくても凹まない、という覚悟を決めることぐらい。
衝撃に備えよ。
あと36時間くらいで実家に到着している筈だから。

あとは本を読むくらいですかね。
Kindleは、『砂のクロニクル』を読み終わってから、『涼宮ハルヒの溜息』『星を継ぐもの』『涼宮ハルヒの退屈』と続き、いまは上橋菜穂子の『獣の奏者』の一冊目を読んでます。
出発までに読み終わるかな?

思いでの宿・シャンカライホステル(ヤンゴン)

90日間、ドミトリーを中心にけっこうな数の宿に泊まりました
ものすごい汚い強制収容所みたいなところから、野趣溢れるというか溢れすぎの宿、宿のせいじゃないけど隣の鼾がひどかったところ、エアコンが壊れていたところ、南京虫のいたところ、英語のまったく通じなかったところ・・・
思いではそれぞれです。

その中で一番の思いではヤンゴンのシャンカライ・ホステルでしょうか。
初日だったから印象深かったということはあります。
ヤンゴン市内は家賃高騰のため、ドミトリーの中がじゃっかん窮屈だったというマイナス点もあります。
でも、この宿のオーナーの人柄が私の旅の1ページ目を楽しいものにしてくれました。
オーナーのミンさんは、2011年まで6年にわたって日本に在住していた方です。
高田馬場にミャンマー人のコミュニティがあると聞いていましたが、まさにそこに住んで、新宿で仕事をしてたそうです。
たしか食堂だったかな?
そこが一年363日勤務。
友人たちが気でもおかしくなったのかと心配し、そんなに働いて何になると非難されるほど働いたそうです。
多少の労働環境の過酷さには驚けない私ですが、たしかにちょっとそれは・・・ね?
そもそも、そんなに働かされて日本を嫌いにならなったんでしょうか?
不思議な人です。
震災の起きる2ヶ月前にミャンマーに帰国し、様々な経緯を経て2015年の2月にゲストハウスを始めたそうで、つまり私が泊まった5月末は立ち上げ間もない時期だったんですね。
設備も新しくて綺麗だったし、なによりミンさんがやる気と意欲に燃えていました。
「金稼ぐぞー」みたいなギラギラした感じじゃない、静かな意欲。
彼は日本で学んだお客へのホスピタリティを、自分の国で通用させたいんだそうです。
どこの国から来る客にも喜んでもらえる接客基準を作りたいと。
まぁ、日本人として悪い気はしない(笑)
ただ、目下の悩みは他のスタッフが、その理想をなかなか共有するに至らないことだそうです。
先覚者の孤独な悩みですね(笑)
ミンさん

2011年というと、ミャンマーでは3月に軍事政権から民政移管が行われています。
たぶんミンさんが帰国を決めただろう前年には、11月に新憲法下での総選挙が行われ、アウン・サン・スーチーの軟禁も解かれています。
ミンさんの政治的な立場がどのようなものなのかは知りませんし、尋ねもしませんでしたが、民主化とともにいち早く帰国したことを考えれば、なんとなくは判ります。
そして、その日のために遮二無二働いてきたのだと思えば、なかなか骨のある大した男だと。
ただ、本人はまったく我の強さをみせない穏やかな物腰の人です。

シャンカライ・ホステルは、べつに日本人宿というわけではありません。
ミンさんも世界中のお客に来てほしいと言っているし、実際に多くが欧米人のゲストでした。
ただ、オーナーが日本語を喋れますし、なによりお客に喜んで貰いたいと一生懸命に頑張っている。
ある意味、変わったミャンマー人ですが、一生懸命に喜んでもらおうと接せられると、不思議にこちらも一生懸命に喜んでしまいます。
今日は何番街からどこそこまで20キロ歩いてきた、どこそこの街角が興味深かったとか、そんな他愛のない話をカウンターで報告すると、いろんな解説が彼から帰ってきます。
ずいぶんと楽しませてもらいました。

最後にシャンカライ・ホステルという名前の由来。
はじめはミンさんがシャン族の血でも引いているのかと思ったんですが、それは違いました。
幼い頃にシャン族が多く住むシャン州に住んでいたんだそうです。
その後、すこし大きくなってヤンゴンに出てきた時、親や親戚からつけられた渾名が「シャンカライ」
「シャンから来たおちびさん」というようなニュアンスの言葉だそうです。

日本で得たものをミャンマーで生かそうとしてくれている人、というだけで応援したくなるのは短絡的な話ですが(そういう人は、たぶんたくさん居る)、それでもあのゲストハウスが長く続いて、数多くの旅人たちを受け入れ、送り出し続けてくれることを祈っています。

そういえば肝心なこと。
お値段はドミトリー朝食付で8ドルでした。

ShannKalay Hostel (シャンカライホステル)
shannkalayhostel@gmail.com

No 166/168 ,3rd Floor, 49th Street Between Bogyoke Aung San & Anawratha Road , Pazundaung Township , Yangon., 


シャンシャンカライ ホステル (Shannkalaイ ホスost

シャンカライ ホステル (Shannkalay Hostel)

振り返ると

90日という日々は振り返ってみれば、あっという間でした。
たった6カ国で90日とは、かなりのんびりと歩いた旅だったと思います。
財布落としたり、ひったくりに遭ったりもしましたか。
いまはハノイ旧市街の外れにあるカフェで、時間つぶしにノンビリしながらこれを書いています。
あとは出国するだけなので、街を眺めながら一日を静かに過ごしたい。

今回で、こういった形での放浪旅行は終わりにしようと思ってます。
家族旅行でハワイに行きたいとかって子供が言い出したら・・・
そうですね、そういうときは旅行するとは思います。
で、現地についてそこはハワイじゃない(笑)
お父さん、ここどこ?
ハノイだよ。

でも、それはふつうの旅行になると思います。
バックパック旅行だって、来てみればけっこう普通なんですけどね。
引退というほどに海外を渡り歩いたわけではありませんが、これでお終いという理由は、やはり新しい刺激を受けてそれを明日に生かすというような年齢よりも、すでに自分の中にあるものを丁寧に使って明日に生きるという歳頃だと自分で感じることでしょうかね。
もう刺激も経験も十分異常に、もとい十分以上に受けてきましたから。
いまのままじゃ人生の変態経験コレクターで終わってしまう(笑)

実際に昔ほどの刺激を旅から受けなくなったということはあります。
経験を積んだためもありましょうし、年齢的に感受性が鈍ったのかもしれません。
東南アジアの主要国は、なんだかんだ言っても観光客慣れしていて、バックパックの自由旅行という「パッケージ」が流通してますから、その気軽さも破天荒な刺激の減少理由としてあるでしょう。

それが判っていて旅行に出たのはなぜか。
ひとつは26年間の東京生活を明確に区切って過去へと押しやること。
もうひとつは、そこに住んでいる人たち、スマホも使えばバイクも車も持っていて、子供をたくさん抱えて生活してる人たちを見たかったという、素朴かつ失礼な旅人通有の興味。
そして最後が、自分の価値の確認でしょうか。


最後のひとつ、わかりにくいですね(笑)
20代の頃から、日本の法律があまり通用しない世界での「刺激も経験も十分異常に」積んできたものですから、私はあまり自分の価値とか権利とかを尊重できない傾向があります。
どんだけ人権がどう、権利がどうと叫んだところで北朝鮮に拉致されたらら、ISに捕まってオレンジ色の服で正座させられたら・・・それでお終いです。
世界共通のものは案外に少なくて、通用しないところでは通用しないものはとことん通用しない。
ただ、日本の法律が通用しない場所が外国だったら良かったんですが、私の場合は場所が日本国内の株式会社だったんで、問題はさらにややこしくなります(笑)
外国なら諦めもつきますが、法が通じるべき国内で通じないのは話が違う。
圧縮して端的に言えば、3年8ヶ月在籍した会社でお金を貰ったのは4ヶ月分くらいという話なんですが、お金を貰わずに昼間は会社で仕事して、夜はバイトで生活費を稼ぐような生活は、かなり屈折した自己存在の是認要件を生み出します。
もう、ほとんど妄想と想像の世界で、革新的ともいえる自己肯定の発明の嵐(笑)
そんなわけで、他人が自分の権利と正義を声高に主張していても、自分自身についてはどうでもいいやと思っちゃうような人間になってしまった、と。
どれだけ自分が正しいと法律を盾に叫んだところで、出す気のない奴になにかそれを認めさせることも、出させることも難しい。
むしろ自分の価値と権利は、法律が定めてくれるからそこにあるんじゃなくて、自分で常に確かめているものだからそこにある。
他人や法律が認めるか認めないかは、関係ないとまでは言わないけれど、あまり過剰に期待して受け取ってはいけないし、ましてや自分を守る唯一至高の盾にしてはならない。

30代の頃、さる人材派遣会社のシステム部で働いていた頃。
そこの部長が私を評した言葉。
「まったく社会や人生に期待をしない男」
「他人をまったくあてにしない男」
なにか仕事上でトラブルがあっても、他人の責任がどうの自分の権利がどうのという人の話を聞き流しながら、どうせ社会はこんなもんなんだから騒ぐほどのこともない、トラブルですらない、言うだけの時間があったら手を動かせば良いだけのこと。
他人の権利や正義と俺自身は、直接的には関係ない。
そんな感じだったらしいです。
「仕事を自分で作ってくるから手が掛からないけれど、仕事を与えるときは難しい」←ほーら、こんなに面白い仕事だよ、と上司自身が面白がってみせないと興味を示さない=そんなに面白いなら俺にやらせてくれ
「自分の興味と面白がりで仕事しているので、利益誘導も脅迫も効かない」
「サラリーマンとしては危険思想の持ち主」
思い返せばひどい言われようだな(笑)
ただ、部長自身は組織の中での私のイレギュラー性(異常性ではなくて、イレギュラー性です)を重く見て、私はずいぶんとお世話になりました。

ちょっと話が逸れちゃいましたね。
旅行にでるということは、私にとっては仕事しなくてもいい、なにをしてもいい、自由だという世界ではなく、常に全ての行動を自分で決めなくてはいけない日常であり、なんでも自分で確かめなければいけない世界です。
むしろ日本の日常よりも縛りが多くて大変。
で、たいていの場合、私は相手の国の人にとって、大きなお金を持ってきてくれる外国人観光客。
多くの親切をこの90日間受け続けてきたことは認めますが、最初の入り口のほとんどはお金です。
そこでしか、どれだけ払うかでしか、まず私の権利はなく、彼らにとっての私の価値はそこにある。
だからって、それだけを受け入れていくのは人情として寂しい。
やはり、そうじゃない自分の価値とか権利とかを考えてしまいます。
そういうことが、まだ若い頃みたいにできる、自分が何かをするたびに自分がそれに行うに相応しい人間かどうか、何かをして貰うたびに自分がそれを受けるに十分な人間かどうか、自分で納得することができる。
それが私の独り旅をする三つ目の、そして旅行をやめる理由です。
もう確認だけをしている歳じゃないからさ。

一時間ほど前から、カフェに8人ぐらいの日本人が入ってきました。
大学生の男女です。
サークルかなんかの先輩後輩関係ですね。
まったく・・・街歩きもしないで、こんなカフェで時間をつぶしやがって(笑)
そもそも群れすぎ・・・
などと思いつつも、彼らが微笑ましくもあり眩しくもあり。
はやく独りで歩けるようになれよ。
そうしたら、グループでならもっと楽しくなれるから。
たぶんね。

昼の12時になったので、いったん宿に帰って荷造りします。
荷物、ちょー少ないけど。
ではでは。

日本帰国まで、あと1日!!

NHAにようこそ!

昨日は最後の贅沢にハロン湾まで行ってきました。
良かったけど、ハノイからちょっと遠い・・・
朝の8:30にピックアップされて、帰りは21:00でしたから。
行き帰りと小型バスに揺られて、片道4時間弱。

行きがけに幹線道路脇に並んだ「Nha Nghi」という看板の建物について、同行したナベさんから教えてもらいました。
その多くがラブホだそうです。
帰ってネットで調べたら、けっこういろんなとこのブログに載ってました。
興味のある方は御検索あれ。
皆さん、ベトナムにもラブホがあるって感動?するんでしょうね(笑)
Nha(家・館) Nghi(休憩)の意で、ニャーギーと読むそうです。

ただ、すべてがラブホなわけじゃなくて、眺めているとカラオケがメインだったり、日本でいう民宿旅館だったりと業態は様々。
歌舞伎町や円山町のイメージそのものではありません。
それでも女の子を後ろに乗せたバイクが吸い込まれていくのを、日が落ちた帰途の街道で見かけました。
思わず心の中でガンバレー!!
え? カラオケなんでしょ?

バックパッカーの中には、これを穴場の宿として渡り歩く人もいるそうで・・・
値段の割に当たり外れの大きい外国人向けホテルより、こちらの方が品質が一定して良いんだそうです。
しかし・・・隣の部屋とかで始まっちゃったら辛くない?
ヤられたらヤり返す?
独りでか?

私はもう、オールドクォーターの南京虫宿で最後の夜を過ごし、いまは出国を待つばかりですんで、今回はNha Nghiのお世話になれません。
次回は、ぜひいちど宿泊してみたいものです。
もちろん休憩も(笑)

いつかは、ニャーギーにようこそ!

世界の果てでも逃げられない

今日はハロン湾に行ってきました。
夏休みらしく日本人の学生さんと同じ船になったんだけたど、その学生さんが私の元嫁の授業は受けてないけど名前は知ってるという、元嫁が教鞭を執ってる大学の人でした。

俺はベトナムまで来て逃げられないのか?
この呪縛!!







日本帰国まで、あと2日!!

2015-08-20

お仕事(エロゲー)

お仕事

あと二日で帰国。
仕事を考えねば・・・
なにがやれるのと尋ねられて、何でもやりますとしか答えられない典型的なダメ職歴の人なので、ログアウト先の現実世界の方がお先真っ暗な状況です。
困ったねぇ。

先日ブログに書いていたエロゲー仕事は、08年秋から12年末くらいまでやっていました。
なんでそんなことを書くのかというと、ずっとその道一筋の人と思われるのは困るからです(笑)
その前の3年ほどは、とある外資の信託銀行や、とある財界系のシンクタンクのシステム部で派遣やってました。
昼間はオフィスでスーツ姿、夜はデパートで装飾施工、金曜は徹夜の建築現場という馬車馬の如き働きっぷりでした。
馬車馬だって、あんなに働かないんじゃねーの?
ダラットで観光用の馬車を見ましたが、ほとんど働いていなかったからね。
で、08年に嫁さんが鬱病をこじらせて登校拒否になり、一週間も家から出ずに布団にくるまっているようになり、挙げ句の果てに掃除機のホースで自分の首を絞めながら叫び出したり、夜中の多摩川に飛び込んだりするようになって、さすがの私もこれをエキセントリックで刺激的とか、ネタになる美味しいエピソードとかって受け取るにはいささか器量が足らないだろうってことに気づかされ、昔の伝手を頼って自宅で出来る仕事、すなわちエロゲー開発の下請けを始めた訳です。
なにより帰宅したら嫁さんが冷たくなっていた、という想像がいちばん怖かったんですね。

12年の末くらいまで続けましたが、11年の震災後はほとんんど開店休業状態で、実質的には08年秋からの2年半が私のエロゲー時代です(笑)
エロも含めてゲームなんかしないのに。
元同僚のHさんから旧作のスクリプトを貰って、ざっと眺めて覚えました。
プログラムの才能は皆無なので、ゲームシステムに手を入れることは出来ませんが。
スクリプターにもいろんなタイプの人がいて、システムでザインまでこなすプログラマー寄りの人、シナリオ出身で自分の書いたものを動かすようになった人、大きな会社に入って分業体制の中でスクリプトに特化した人なんかです。
私が世話になったところはメンバーが3~4人の企業同人だったので、スクリプトを打ちながら多少はシナリオもやり、音声・効果音から足りないグラフィックのでっちあげまで、それこそなんでもやりました。
結局は「なんでも屋」です。
システムに関わらない以上はキャラを動かすことに専念できるので、ちょっと異常なくらいにコマンドを入れました。
ほとんどセリフごとに表情かポーズをチェンジさせてましたから、デバッグは大変だったと思います。
でも、技術があるわけじゃないから手数で勝負(笑)
そうじゃなくても動かない電脳桃色紙芝居なんだから、ヒロインくらいは感情表現豊かでないとね。

2年半で17作くらい(訂正20作)作ったと思います。
3ヶ月で2作ペースでしたが、正直な話がよく覚えていない(笑)
私が携わったのはエロゲーの中でも、いわゆる「抜きゲー」と呼ばれるジャンルで、安くてボリュームが小さくてという粗製濫造作品の密集地帯でした。
ほとんどキャラクターの個性が表現される間もなく、いきなりエッチに入ります。
長い前振りは必要ない。
エッチシーンの比率はシナリオの8~9割。
いきおい、あのマンガのあのヒロインとか、あのアニメのあの女の子とかっていうイメージをもろに引っ張ったキャラが続出します。
パクリ?
買う人にとってはそうかもしれませんが、制作側には別の理由もあります。
他作品のイメージを引っ張ったキャラや、ステレオタイプに固定された人物像を引っ張って来ることにより、そのキャラの個性を作中で説明する手間が省け、その分作業量や予算が減らせ、その分をエッチシーンに回せる・・・
要はキャラの書き込みを他作品(とユーザーの脳内ストック)に委ねないと、三月に二作は回らない。

スクリプトはシナリオや絵・音楽・ボイスなどの素材が集まってからの下流工程で、上流の進捗状況に仕事が左右されます。
それが辛くて上流工程のシナリオ作業にも手を出したのですが、ただ単に上流から下流まで忙しくなっただけでした。

シナリオを少しやって自分で気づいたのは、自分の性的な倫理ハードルが想像以上に高かったこと・・・
思ったほど自分は変態じゃないんだ・・・と思い知らされる? ことに。
レイプシーンとか書けませんよ。
だいたいAプレイとかですら、プライベートでやらないことは書けない。
なんででしょう?
やったことがないから?
殺人シーンなら心理的なハードルをあまり感じずに書けるのに。
ま、才能がないってことですね藁

あと・・・
いやいや、果てしないからやめときましょう。
でも、ゲームをプレイするのはしんどいから嫌いだけど、頭をひねって作るのはけっこう楽しかったです。

今日はこれからハロン湾の観光に行ってきます。
ではでは。

2015-08-19

ハノイ二日目

ハノイ二日目。
なんか画像がまたアップできないのは何故?

今日は朝から線路を越えて世界遺産のタンロン遺跡まで出張りました。
8時半オープンなんだけど、8時25分には入ってました。
でも・・・誰もいない。
というより、なにこれ? 世界遺産?

2010年に登録されたそうですが、やはり最近になって登録された世界遺産は信用ならん!

お昼からは一足先にハノイ入りしていたナベさんとお食事、というか昼間からビール。
今回は偶然ではなく、このあとミャンマーに向かうことにしたナベさんに、ミャンマーのガイドブックを手渡すために待ち合わせたのでした。
旅行中に三回も顔を合わせたのは彼だけですね(笑)
彼はハノイで就職先の物色中。
やはり私と同じくハノイが気に入ったそうです。
旧市街を一緒に歩きながら、角を曲がる度にふたりで喜んでました。
曲がっても曲がっても、面白い商店街がある。
飽きない。


夕方からはひとりで街を歩き、疲れると歩道に張り出したカフェで道行く人々や混沌の坩堝と化している交差点のバイクを眺め続けます。
まったく本なんて読めません。
景色が面白くて。
この街でなら就職してもいいな。
確かにそんなことも感じますが、やはりというかなんというか、忘れてましたが最終目的地はハノイではなく、ウツノミヤでしたね。
ハノイで春巻き喰って、次はウツノミヤで餃子!!

夜、民族芸能のカー・チューという、なんでしょう、歌と踊りと音楽の夕べみたいなのを観に行ってきました。
けっこう伝統芸能って苦手なんですが、苦手なだけにできるだけ観るようにしているのです。
これでも学部の頃は、週に二日は歌舞伎研究会の部室でゴロゴロして、月に一度の観劇会で歌舞伎座に足を運んでたものです。
部員でもないくせに(笑)
卒論も能が絡んでいたし・・・あ、思い出したくない。
で、そのカー・チューですが、やっぱ私にはよく判りません(笑)
芸術は私の守備範囲外だと、また更に再確認をしたと。
ただ、バイクの渦の中を一日歩いた後で、そういう古風な調べに耳を傾けるということは、気持ちの上では心地よいことでした。
だったら新内節とかでも良かったんじゃね?
とまぁ、そう言われたらそうだねって言えちゃうところが、私のダメなところです。


明日も一日、ハノイの街に挑みます。
日本帰国まで、あと4日!!

2015-08-18

南京虫

あぁ、この宿は南京虫いるよ。
最後の最後で抜かったなぁ。
一泊5ドルのドミトリーだし、しゃーないか?
今晩、刺されませんよ~に(笑)
若い子のベッドはあっちですよ〜!!

最終目的地、ハノイ

ついに最終目的地、ハノイに入りました。
苦節(つーほどのこともないが)85日。
あとは約束の日が訪れて、ゲートが開くのを待つばかりです。
ラスボスを倒すとかのフラグ立てが必要かも知れませんが・・・

本日の移動は13:14ニンビン発のSE8。
定刻から15分遅れで、16時ちょうどにハノイ着。

ずいぶんとここまで歩いたものです。
総移動距離は計算してないんで判りませんが、スマホの万歩計による歩行距離は810キロを指しています。
85日で810キロだから、一日10キロ弱か。
日本から履いてきた10年選手のサンダルは、ミャンマーのマンダレーでお亡くなりになり、いま履いているのはマンダレーで買ったタイ製の安物です。
製造元のタイまで保てばいいんじゃないと思っていたのですが、とうとうラスボス戦まで使用されることに。
さすがに爪先のあたりでゴムの張り合わせが剥がれてきて、パカパカしだしてきました。
どうしたもんかと思いながら、今日の昼にニンビン駅前の数えるほどしかない茶屋でコーラを飲みながらサンダルを見つめていると、店のおばちゃんがなんだかのチューブを渡してくれました。
なにこれ?
ちょうど虫に刺された脹ら脛を掻いていたところだったんで、中から出てきた白いクリーム状のものを肌に近づけたら、すごい勢いで止められました。
他の客がそれを見て爆笑している。
なに? サンダルに塗れ?
あぁ・・・ボンド? なのね?

こういう小さい親切に甘えさせて貰う場面が、どうも北上してきてから多いような気がします。
ベトナムは南部の方がおおらかで、北部の人は冷たいというような話をよく聞きましたが、よくわからない。
こちらがベトナムになれてきた分、それが鏡のように相手に反映されて親切を受けているのかもしれません。
南部に入った頃は、あまり気持ちに余裕がなかったですから。
そういう余裕のない外国人に対しては、向こうも親切心を持ちづらい。


ハノイは想像していたよりも賑やかで街路樹の濃い、歩いていて楽しい町でした。
といっても、今日はオールド・クォーターとも呼ばれる旧市街しか歩いていません。
宿は旧市街の西寄りです。
ものすごい数の人とバイクの渦ですが、頭上を覆う木立の葉の厚みのせいで街路に落ち着きがあり、街路ごとに商店が扱う品物の違いがあって歩くのが楽しいです。
ここまで楽しいのは、ヤンゴン以来かな。
とりあえず今日は宿の周辺を探索し、最終日に空港へ向かうための路線バス乗り場を確かめに旧市街の外れまで足を延ばすだけに留めました。
いつも、まず最初は脱出経路の確認です(笑)

夜、近所のローカルな飯屋で夕飯。
外国人向けの店ではないにも関わらず、意外と高かった。
その後、外人客向けのバーでビールをジョッキ一杯だけ。
目的地到着のひとり祝いです。
ビールを飲んでいたら、サンダルを直しましょうと靴直しが寄ってきました。
バー中の客に声をかけています。
が、誰も取り合わない。
そりゃ直すくらいなら、新しいのを買うわな。
この85日間で、流しの靴直しは初めて会いました。
しかも別々に二人。
しかも私がサンダルを直した、その日に。
最後の町に辿りついて昂揚していた気分が、すこし冷めた瞬間です。

関係ないけど、俺も仕事どーしよーかなー。
明日はハノイをもう少し、いやけっこう? できればガッツリ歩いてみようかな。

日本帰国まで、あと5日!!

2015-08-16

ニンビン

昨日からニンビンに来ています。
終着点ハノイまで、あと110キロ。
まぁ、あの星とその星が双子の二連星だと判明したあたりです。
旅も大詰めですね。

ヴィンからニンビンへも鉄道を利用しました。
朝9:26発のSE8、ソフトシートで14万9千ドン。
10分ぐらいの遅延しか無かったと思います。
途中の景色は、それまでとは違ってあまり面白くありません。
平野部に入るからです。

ニンビンの駅ですが、『地球の歩き方』2014~15版の地図から南に1キロほどの場所に移転になっています。

新駅前はホテルが1軒と飯屋が数軒あるだけの新開地です。
Maps Meには反映されていますが、今日現在のGoogle Mapには未反映。
後続の方々、ご注意あれ。
さて、この街自体にも何もありません。


夜になると19時でも表通り以外は真っ暗です。
街灯は点いていたり、点いていなかったり。
でも、わりと人は歩いているというか、家の前で夕涼みしているので、歩いていて安心です。
が、夜中に歩いて行くべき場所もない。
が、昨夜の1時過ぎにエアコンの電気系統が故障したとかで、ホテルのエアコンが使えないんですよね・・・
扇風機と電灯は大丈夫だから安心してくれと言われたけど・・・ねぇ。
もう、窓も扉も全開で寝ています。
誰かに襲われたら?
エアコン壊れてるのに汗かきたい強盗なんていねーよ(笑)
もし居たら、そのときは・・・・一緒にベッドで組んず解れつ格闘ですね(笑)
そんで、一緒にシャワー浴びて抱き合って眠るのさ。
夜明けのコーヒーは朝飯前で(意味不明)ヨロシク!!
暑くて脳味噌溶けそう。

今日はニンビンの墨絵の世界へボートツアーに行ってきました。
もう出国が近いので、ややお高い遊びもこの際は可。
チャンアンとバイディン寺と、もうひとつなんだったか思い出せない寺。
バイディン寺遠景
朝8時に宿を出て17時に戻るまで、例によってバイクの後ろにまたがり、山の下で下ろされて登ってこいと言われ、川岸に連れて行かれてボートを漕いでこいと言われ。



18ドルのツアー代金を払って、体力を思うさま浪費してきました。
しかもボート代とか拝観料とかは別払いですから・・・

バイディン寺、でかかったです。

御本尊ですが、こんな感じ。
LEDで光ってるようにも見えますが、これは下からライトアップしているものが光背に載った諸々の仏に反射しているだけです。
実はフエを出てから神仏の電飾関係に変化がありまして、南部や中部に比べてグッと大人しくなっているんです。
家々の入り口にある祠も最低限の電飾しかないし、その祠自体がない家も多い。
仏さんがグリコの電飾看板状態というのが、この辺ではありえないのかも。

ともかくあとはチャンアン。
こんな感じの川をボートで上下します。
しかも三時間掛けて。



独りだと他のグループ客に居候させてもらう感じで、ちょっと肩身が狭い。
私が乗った船は他がベトナム人家族の五人で、私の前に小学5年生くらいのガキンチョが座りました。
ボート自体は漕ぎ手のおばさんが居るのですが、各船には3~4本のパドルがある。
で、このガキンチョが私にも漕げと五月蠅いことこの上なし(笑)
彼はパドルで漕いでると言うよりはバチャバチャ水を撥ね散らかしているだけで、それがもろに後ろの私に掛かるし、ピッチが一定しないのでこちらのパドルが息を合わせられずにガンガンぶつかる。
なぜ漕がないのかと私の判らん言葉で文句を言う彼に、私も彼の判らん言葉で「ガキが命令してんじゃねーよ」「お前が止めたら俺が漕いでやる」
と言い返す。
私は大人ですから。
大人ですから、私の方が彼と同じガキンチョレベルへと、わざわざ足を運んであげてコミュニケーションをとらなきゃいけません、よね?
こうして彼が漕いでいる間は私がサボり、彼が疲れると私が漕ぐという麗しい分業体制が出来上がって、通常の3倍のスピードとはいかないまでも1.03倍くらいのスピードで船は進みます。
ところへ彼ら家族の仲間の船が二隻急接近してきて、事態はドラゴンボートレース状態に。
はじめはアホらしさのあまり、ガキンチョの「外国人、お前も漕げ」コールにソッポを向いていた私でしたが、敵船の客たちの満面の笑みを見るにつけても腹が立ち、最後はパドルを握って俄然奮闘。
最終的には我が船の勝利に終わることを得ました。
これ、なんのため?
15万ドンも払って景色をゆっくり見ようと思っていたのに、汗だくになってボート漕ぎ。
最後に岸へ上がったとき、件のガキンチョが私を振り返って「サンキュー」と言ったので、しかたがない「グッジョブ」と返しておきました。
おじさん疲れました。

疲れたので、今日は寝ます。
でも、ニンビンの観光は良かったですよ。
手頃な料金で日本にはない風景を堪能できました。




明日はいよいよ終着点、ハノイ。
就職機会をタダでくれるという・・・もういいか。

日本帰国まで、あと6日!!

2015-08-15

ヴィン

ドンホイから北に200キロ、ヴィンの街に来ています。
朝、ドンホイの駅に向かおうとしてホテルを出て表通りに出たら、まったくセーオムが客待ちしていなくて、ぐるぐる探して歩き回ってしまいました。
結局、マイリンタクシーを拾って駅へ。
海に近い川縁のホテルまで、来るときはセーオムで3万ドンでしたが、タクシーで6万4千ドンかかってしまった。
(セーオムの方は細い道でショートカットしたからかも)
途中、前を走っていたオンボロダンプの後輪が破裂して、なんか爆弾騒ぎみたいなことになりました。
ちょうど未舗装の地面だったんで、小石が飛び散って砂塵が舞い上がって。
一瞬、地雷でも踏んだのかと思った。
んなわけないか。

乗るのはドンホイ発9:26のSE8、ソフトシートで15万7千ドン。
汽車は定刻から10分遅れで出発。
途中の景色は険しい山あり広々とした川ありで、国道一号線から離れた山間部を走ります。
ヴィンまで4時間10分。
なかなかに楽しい旅路でした。

山の縁の墓地(仏教徒)
教会も多いです
そのヴィンの駅でのこと。
駅のホームから駅構内に出るゲートのところで、例によってまずはタクシーやセーオムの「乗ってけ」攻勢に晒されるわけですが、私はいったん出発ロビーに向かって翌日の切符を事前購入。
その後、人気の無くなった構内から駅の外へと向かいました。
ここで、やや小太りのオッサンがニコヤカに登場。
なにやら俺のに乗っていけと言ってます。
制服を着ていないからタクシーじゃなさそう。
宿の名前を言い、スマホで地図を見せ、念のためにベトナム語の住所も示しますが、愛想がいいだけで反応がおかしい。
判ったという素振りは見せますが、着いてこいというだけで料金の話をしても答えません。
3万ドンで行けるか、と聞いても笑ってなにやら来い来いとだけ。
なんかおかしい。
やっぱ他を当たるわ、と手を振って歩き出すと「スリー、スリー」と言いながら慌てて追っかけてきました。
こっちが値段交渉してると思ったのか。
でも、ここで乗ったら後で3万ドンじゃなくて、3ドルだとか30万ドンだとかと捻込まれて脅される予感。
彼を振り払いながら駅の門へと辿りついたとき、門柱の脇でじっとこちらを見ているセーオムドライバーらしき二人の男に気づきました。
二人とも険しい表情でこちらを見ています。
なんだと思って目を合わせると、ひとりの男がそっと首を横に振りました。
もうひとりは手を小さく振りながら止めとけサイン。
どうも後ろで騒いでいるオッサンは、仲間からも嫌われている札付きの問題ドライバーであるらしい。
このお二人の密かな忠告によって、私はまともなタクシーで移動ができました。
門柱脇を通るときに手を振って頭を下げたら、向こうも笑い返してくれました。
まぁ、こういうこともあります。
ちなみに駅から市場やBigC(スーパーマーケット)のある中心部まで、タクシーで3万ドンちょっとでした。

ヴィンの市街ですが、けっこうでかいです。
駅前通りに直行する南北の大通りに沿って近代的なビルが(ポツポツと)並び、高級ホテルや映画館もある。


突き当りが市場
その大通り南端にある市場は巨大で、生鮮食料品から工具類までなんでも揃ってます。
市場とホームセンターが好きな人なら、楽しめるんじゃないでしょうか。
独り旅で市場の雑踏は気疲れするので、私はサラッとしか見物していませんが。
大通りの東側には、なんだか古いマンションが1キロ近く続いています。



雰囲気があれです。
菊池秀行の魔界都市シリーズに出てきた百人町の都営住宅。
まさにあれ。

でも、中を通り抜けると子供が多くて人の行き来も激しく、深い木立の間に露天が並んでいたりして、露わな生活感の生々しさは比べものになりません。
こちらは吸血鬼向きではないですね。

大通りに飯屋はありませんが、大通りからこの老朽住宅群を挟んで一本東の通りに飯屋がたくさん並んでいます。
大通りの西には函館の五稜郭と同じ星形の城塞跡がありますが、寂れたスタジアムがあるくらいです。
7キロくらいしか歩き回れませんでした。
ここも特になにも無いところです。
そんなんで一泊でサラッと移動。
明日は200キロ北のニンビンへ。

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以上は昨夜書いたんですが、ホテルのWifi情況が思わしくなく、アップを断念しました。
15ドルもした中級ホテルだったのに(笑)
こういうベトナム人が使うホテルって、けっこうWifiが良くない。
彼らは地元の携帯キャリアを使うから、Wifiが繋がらなくても困らないし。
かえって外国人バックパッカーが泊まる安宿の方が、Wifi環境が整備されてるような気がします。