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2015-08-22

「放浪息子の帰還」

ただいま。

今朝方、日本時間の7:40に成田着。
そのまま宇都宮行きのバスに乗り込んで、東京を経由せずに常磐道経由で帰宅。
3ヶ月ぶりに帰ってきたというよりは、26年ぶりに振り出しに戻る旅ももうお仕舞い。
まだ何も決まっていない故郷へ向けてバスが走り出したら、頭の中で「ルージュの伝言」が鳴り響く。
ただ、「今」の自分がやるべきことを決め続けてきた、この3ヶ月の続きが明日から故郷で始まるだけのこと。
おかえり、飼い主くん
さて、この不安定なブログも、これでお仕舞いです。
旅行ブログは日常に持ち込むもんじゃない。
最後の数日間はBloggerの不調か、宿の環境の不具合か画像が投稿できなかったので、それをあとで足しとくくらいかな。
ま、奴は故里で楽しくやっていると思っていてくだされば(笑)

そんなことを言って、また「新たなる旅立ち」とか「永遠に」とか「完結編」とかって続くんじゃないか、と勘繰っているそこの貴方!!
貴方です!!
んなこた、ないかんね(笑)
(「20xx」とタイトル末尾に年号をつける手があるな・・・)

では皆様、またご縁を創ってお逢いしましょう。
バイ!!

2015-08-21

世界の果てでも逃げられない

今日はハロン湾に行ってきました。
夏休みらしく日本人の学生さんと同じ船になったんだけたど、その学生さんが私の元嫁の授業は受けてないけど名前は知ってるという、元嫁が教鞭を執ってる大学の人でした。

俺はベトナムまで来て逃げられないのか?
この呪縛!!







日本帰国まで、あと2日!!

2015-05-24

出国前日の朝

昨日は植木屋Bの最終日。
これからが植木屋のハイシーズンというのに離脱するのは心苦しく、しかし楽しく仕事してきた。
明日は旅立ちの日。
通例だと、旅立ちの前は出かけるなんて皆に言うんじゃなかったなぁ、という想いに駆られて激しく鬱になる。
家の雨戸を閉め切って、出かけたフリをしてしまいたくなるのだ。
根が面倒くさがり、かつ小心なのである。
かつ貧乏。
しかしながら今回に限っては、ま~~ったくその兆候がない。
3ヶ月も雨戸を閉めて生活はできないし、そもそも家を解約して引き払ったという退路の無さが大きいのだろうか。
それ以上に5件の仕事を一年かけて整理し、11回の送別会を開いてもらったという事実の重みが後戻りを出来なくさせているからか?
いまさら東京に残りますと言ったら、おまえに喰わせた肉を返せ、酒を返せと半殺しの目にあうだろう。
最後の一ケ月に至っては10回の送別会だったから、食費が極端にかかってない(笑)
あとは郷里に向けて90日の旅を続けるのみ。
宇都宮への道は遠く険しい・・・

でもって、さっき近所の便利屋に挨拶に行ったら、「これから午前中だけの不要品回収があるんだけど、どう?」、ということで出国24時間を切ったところでお仕事GET!!
まだ始まっちゃいないけど、終わってもいないのさ。

2015-05-23

空っぽの部屋にて

送別会に次ぐ送別会をクリアし、どうにかこうにか軽トラ一台に荷物を満載して実家へ運び込み、ようやくのことで出国三日前。
まだ引っ越すのだという実感はない。
この二日間は、荷物を動かして実家へ行ってきたついでに地元のハローワークに寄ってみたり、30代初めに大学でゴロゴロしていた頃の後輩が近所で不動産屋をやっているので挨拶に行ったり、だいぶ昔に我が妹に片思いしていたテツカの墓参りに行ってきたりと忙しく過ごしていた。
ちなみに30代初めに大学でゴロゴロしていたとは文字通りの意味であって、大学でゴロゴロしていた職業不詳の人物ということであった。
決して大学生だったわけではない。
大学って、居るだけならお金もかからないし、喫茶店なんかで時間を潰すよりも安上がりなのだ。

さて、明日は東京での最後のお仕事。
出国前々日に事故を起こさないように気をつけねば。
あぁ、やっぱこんなタイミングで受けるんじゃなかった。

なにもない部屋で身体ひとつで悶える私。

2015-05-15

ブラック仲間

昨夜は、かつて2年8ヶ月にわたって在籍していたゲーム開発会社の知己に招かれて、なかなかに敷居の高い浅草のすき焼屋での送別会。
座敷の床の間を背にして、え?いいの?みたいな。
当時のメンバーで業界に残っていて、しかも自分達でメンバーと会社組織を維持し続けているというのは稀なケースで、ゲームにまったくもって興味のない私にとってもこれは嬉しいことである。
あの会社に関しては、何人死のうが斃れようが、誰かひとりでも花を咲かせて幸せになれば、それが自分達みんなの勝利なのだと思っているので。
考えすぎか?
ゲーム業界のベトナム最前線と言われたあの会社も、いまは業界内ですらその名が風化して久しいそうだ。
目視はおろか電波観測も不可能。
光すら歪めるほどの(今をときめく)スーパーブラック企業だったのに・・・
生まれる時代、というか倒産する時代を間違えたな。

集まってくださったメンバーは、私以外はすべてプログラマーとグラフィッカーという現場の開発陣。
そういう畑違いの人たちから声をかけてもらえるのは、隙間仕事専門の何でも屋冥利に尽きる。
今回、あらためて気づいたことは、開発陣と企画・営業職との間にある当時の出来事の受け取り方の差で、ここが日本とはとても思えないような出来事の連続に振り回されつつ、社内といわず社外といわず日々を駆け回る私のポジションと違って、毎日をパソコンの前でじっと作業しながら耐えるという開発陣にとっては、私ほどの面白おかしいエピソードもさほど無い単調な日々であったらしいということだった。
私とてすべてが面白おかしかった訳ではなく、というよりもすべてを面白おかしく受け取らなければ精神を病んでもおかしくない、という環境だっただけである。
いわば無理くりに面白くしていたら、不思議なことに面白いことが集まってくるようになった、というだけの話。
それでも、スキルのあるゲーム好きな人であれば、面白いことを無理に探す前に自分の将来に悩むのが普通なので、私の「面白い」は会社でただ一人だけ業務に興味の無い人間だからこそ抱けた、きわめて特異な世界だったのかもしれない。
そうだとすれば、そのような「異物」を気持ちよく送り出してくれた彼らとの関係は、本当に得がたいものなのではないかと思うのである。
残念なことをひとつ挙げれば、ま~~~ったく私がゲームに興味が無くて、そういう人たちと一緒に仕事ができないことだろうね(笑)
いやいや、だから長続きしてるのかもね。

さぁ、残された送別会はあとふたつ!!

2015-05-14

工場長と

昨日は久しぶりに仕事。
さる宗教団体のお庭の池が不具合ということで、改修の為に水を抜いて底の石やコンクリート塊を池から運び上げる作業だった。
なんでか、そんな日に限って気温は季節はずれの30度である。
ここ数年の修練のおかげで、かなり荒い仕事でも落伍しないだけの自信はあったのだが、こういう100%筋力に依存する作業となると、やはりプロとの差が出てしまって悲しい。
見たまんまのパワーファイターというのは、見かけのわりにパワーがあるねと言われる程度の私とは違うのである。
これでも、この二年ほどで6キロも体重を増やして(ウエストサイズは変わっていない)というのに。
コンクリ板を延々と持ち上げていると腕から力が抜けてきて、私から荷物を受け取る相方が他の人に対するよりも一歩踏み込んで、低く腰を落として受けに来てくれているのが感じられるだけに、その心遣いがちょっと辛い。

夜、88年からの縁となるデパート装飾会社の“工場長”と京王多摩川駅前で送別飲み会。
そこの仕事は昨年まで25年ほど続けたことになる。
工場長とは良くも悪くも腐れ縁で、これが最後だということもあってダメだしも含めて言いたいことを言って酒が飲めたのは楽しかった。
こっちは向こうをだらしのないダメ兄貴(無理に言えば、みたいなもの)と思っていて、たぶん向こうはこちらを人の意見を聞かない困った弟(あえて言えばそんな感じ?)だと思っているのだろうから、しょーもない関係である。
そこの仕事を引退して一年、それが互いの関係を客観的に見られる猶予期間になったのかもしれない。
四半世紀の思い出とドタバタと紆余曲折、通り過ぎていったバイトの面々を語りだすと二人ともとどまることを知らず、19時から閉店までの5時間があっという間だった。

余談ながら、私の代わりにデパート現場に入るようになったDさんが、仕事中に工場長からダメだしをされるたびに「Kioちゃんが、ちゃんと俺に教えてから辞めてくれたら良かったのに」と宣っているという。
え?俺のせい?
他所でも装飾やってるプロのフリーターでしょ?
学生バイトじゃないんだから。
まったく困ったオッサンだ(嘆)
どうしてくれよう(怒)
どうにもならないから、どうもしないけど(諦)
たしかに仕事を覚える気がない人に、二回か三回くらいしか繰り返して教えなかった私が悪い。
年下の癖に、先輩に対して十回でも二十回でも教える親切心をもたなかった私が悪い。
あ~~~、ぜ~んぶ俺が悪ィよ。
ゴメンネ、ゴメンネ~~~!!

2015-05-13

下調べ

気の早い五月の台風も一過。
あっという間に静けさの戻った東京である。
今日も仕事が無くて、日がな一日というもの旅行先を調べて過ごした。
Googleマップは便利なもので、マレーシア東岸の海岸線にある水上住居群を衛星写真で探しながら、それぞれの場所へのアクセスと近傍の宿泊施設が調べられてしまう。
これで半日もかかってしまったが、すでにタイ国境も越えてミャンマー国境までバーチャルに歩き回ってしまった。
本番での感動が薄まらないといいけど。
旅行は下調べがいちばん楽しい。

明日は久しぶりにお仕事が一件。
最近は仕事に行くにも、事前にGoogleマップやストリートビューで下調べしてしまう。

場合によっては、明日が仕事納めかもね。

2015-05-10

誕生日

今日は47歳の誕生日。
想像力の貧困さゆえか、この歳の自分の状況というものが斯くあるとは想像だにしなかった。
いやもう想像を遥かに超えて、なんというかアレだわさ。

さて、今年の抱負。
仕事を決める?
家を決める?
あたらしい猫を飼う(猫は裏切らない)?
嫁、とまでいかずともカノジョをつくる(猫なら裏切らない)?
いや・・・やはりもっと小さなことから。
「毎日、早く起きる」

昨夜は恵比寿で大学の推理小説研の一期後輩にあたる女性陣にプレ誕生会を兼ねた送別会を開いていただいた。
(そんな部に在籍した事実はないのだが、だいたいどこの部でも新入部員から見ると、先輩なんだかどうか、そもそも学生なのかすら不明な謎の「古参兵」が出入りしている、あるいは寄生しているというのは、よくある話)
Kちゃんからは旅行土産の赤福と伏見の酒、Yさんからは旅先で食べてねとインスタントの日本食、そしてMさんからは消費者金融の過払い金返還申込書類が一式!!
あざーっす!!

2015-05-09

フリーター四半世紀

昨夜はフリーターチームによる私の送別会。
変わり映えのしないメンツの野郎同士が集まって、歌舞伎町で焼肉の食べ放題。

チームとはいっても、べつにチーム名があるわけじゃなし、チーム固有の決まりがあるじゃなし、明確なリーダーがいるじゃなし、ただなんとな~く緩~く繋がっているフリーター達の互助関係である。
一人ひとりで仕事を請けるよりも、ある程度は群れていたほうが、雇い主たちも私たちも都合が良いので、自然発生的にそういうのができるのである。
年齢は50代半ばから20代後半まで。
平均年齢は40代前半だけど、主力の平均は40代後半。
人の出入りはあるけれども、常に10人前後が繋がっている。
それぞれのメンバーが複数の仕事に携わっているので、こんどこんな仕事で6人ほど人が必要なんだけど、みたいな感じで仕事を回しあうのである。
通常は仕事を持ってきた奴が、その仕事のリーダーになるのだけど、世の中は不公平というか平等ではないので「なんか仕事ない?」としか言わない人もまた多い。
自戒も含めての話であるが、メンバーの多くはなにかしらの意味で社会のスタンダードからズレた人たちで、性格的に問題があったり、著しく勤労意欲に欠けていたり、肉体や精神にトラブルがあったり、金銭にルーズだったり、イリーガルな御趣味をお持ちだったり・・・
いやそういうマイナス方面でのズレばかりを挙げるのは止めとこう。
・・・たとえば本職がミュージシャンやカメラマンだったり、元AV嬢だったり、ムショ帰りだったり・・・
う~ん。
ま、いーか。

通勤電車やオフィスの窓からは見えないけれども、東京にはこうした人たちと、その繋がりが無数にあって、社会の隙間で蠢いているのである。
だいたいどこの会社でも、新入社員からは社員なんだかバイトなんだか判別しがたい謎の「古参兵」が出入りしている、あるいは寄生しているというのは、よくある話。
私自身は、常に五社くらいを相手に仕事を回しているので、特定の会社にべったりということはないけれど、チームの元になったグループが飯の種にしていた二社には、それぞれ25年ほどの付き合いがある。
なんのことはない、学生時代に先輩や同期に誘われてバイトに行き、仲間が卒業した後も居残ってしまい、7年かけて大学を出たあとは個人的な伝手で仲間を集めて離合集散を繰り返しと、ただそれだけのことだ。

ただ、それだけのことなんだけどね。
なんで四半世紀も続けちゃったのかなとも、よく四半世紀も続けられたものだとも思うのだ。
あんな連中と(笑)
よくもまぁ(苦笑)

ひとつの答えは、互いの関係が雇用関係でも会社の先輩・後輩関係でもなく、対等な実力主義のドライな関係だったことかもしれない。
誰かに雇われ、雇っている関係ではないので、仕事や金がないからといって誰かを責めたり、責められたりすることのない世界。
会社のような継続性や永続性を前提としない集団(実際はともかく理念上はね)であるゆえに、実力でモノが言える世界(だって20歳も50歳も同じ自給だもん)。
自分だけに責任を持ち、自分の決めた義務を自己に課し、エゴイスティックに自分というものの価値だけを売る世界。
だからこそ、ほんの数時間を金に見合った労力でいいから力を合わせられる対等な関係ならと、職業・性別・国籍・経歴を問わずに受け入れてこれたのだろう。
(そんなだから変な女を受け入れて痛い目にあうのだ、皆が変だと言ってるのに面白いというだけで女を土足で自分の中に踏み込ませるな、お前は自信過剰だ、等のお叱りも多々いただいておりますが・・・)

20代の頃の私は、友人など要らない、その都度の目的のために集まる仲間が居ればそれでいいと恥ずかしげも無く広言していた阿呆で、さすがに明日は47歳だという今日においては、わざわざそんなことを口にして人様の耳汚しをするほど青くもなく、つまりは立派な大人に成り果てたわけだが、やはりその「仲間」たちと別れるにあたってはある種の感慨に囚われてしまう。
それは一種の達成感か寂寥感、あるいは私が東京に残していくダメフリーター達への不安と心配か、それともある種の連帯感? ときに馴れ合いと名を変えることもある友情? 欲情?
まぁ、そのいずれでもあり、いずれでもなし。
・・・いや、どさくさに紛れ込ませて書いたけど、最後のはないでしょ。
ないない!!
ないよ!!(田中要次風に)

こうしてオッサンの身体にはいろんな有象無象が纏わりつき、こびりついて、いつしか身体は重くなる。
もう20代の頃のような思い切ったジャンプも無理だろう。
仕方がない。
これは、いつか自分がどこかで下ろすことになるアンカーの重みなのだ。

19時に始まった焼肉送別会は0時に終了。
あんな連中(笑)と握手で別れつつ、まぁ悪い気分じゃない。
長い間、お世話になりました。
(俺のしてやった世話も忘れるなよっ(笑))

2015-05-08

散歩の楽しさ

ご無沙汰です。
あんまマジになんなよっ、て自分に嫌気が差して日が開いてしまいました。

さて、送別会を三日連続でこなした後、連休前半は二泊三日で帰郷。
5日に仕事があって上京したものの、その後は仕事が無くてGW延長戦の様相を呈してきた今日この頃。
すでに私の勤労精神パルスはフリーターとしての存在閾値を割り込み、無職の暗黒領域へ。
ダメ! 社会に戻れなくなる!!

ところで帰省中、実家でブラブラしてるのもなんだから、毎日10キロくらい散歩してたのだけど、そのなかでの面白い発見をふたつ。

ひとつ。
実家の近所には国体をやった総合グラウンドとか、可愛らしいサイズの古墳(しかし前方後円墳!)なんかがあって、そんなところを散策するのが私の年寄りくさい日課。
で、例によって古墳近い藪の中を歩んでいくと、白い花をたわわに載せたガマズミの足許に多数の箱が人目を忍ぶように置かれている。
もしかして、と近づいていくにつれて耳に大きく響いてくる無数の羽音。
え?こんなとこで? という感じだったが、やはりミツバチの養蜂箱だった。
しかも25箱。
個人にしては数が多いので、箱に書かれた苗字と養蜂で検索してみたところ、地元の養蜂組合に同じ名があった。
案外に身近なとこで養蜂が行われているということは、小さな驚きだった。
しかし、商売にしては25箱は少ないような。
おそらくは同じような養蜂箱のコロニーが、市内のあちこちにひっそりと置かれていて、季節の花を追って転々と移動しているのではないだろうか。
そういえば昔、仕事で70年代の養蜂家のドキュメンタリーを観たことがあって、これは花を追って九州から北海道までトラックや貨車に満載した巣箱と共に移動する人たちの記録だった。
何ヶ月もの間を旅の空で暮らす生活に耐えきれず、里心のついた中卒(だったと思う)の新人が涙ながらに辞めていく姿なんかが記憶に残っている。
いまはそこまでのコストをかけられるほどに蜂蜜も高価ではないから、そうした超長距離での季節移動スタイルは無いのだろう。
とはいえ、現在のような養蜂が日本に移入されたのが明治期で、鉄道が日本中に拓かれていった時代にある程度は対応しているとすれば、日本養蜂の歴史の中で旅の養蜂はほんの一時的で特殊なスタイルだったのかもしれない。

もひとつ。
実家から市内とは逆方向、隣町との境に近いところまで歩いていくと、いまどき珍しい縫製工場がある。
なにが珍しいといって、ヨーカドーの劇安衣類がミャンマーで作られている時代に家内制手工業ではない、ある程度の規模のある工場が国内に生き残っていること、それ以上に工場の二階の窓いっぱいに干された生活観あふれる洗濯物の満艦飾(しかもすべて女物)という関東の片田舎らしからぬ景観である。
やっぱあれだよね、これって工場の二階が寮になっていて、娘さんたちがいっぱい詰まって生活してるんだよね。
きゃーっ、お近づきになりたいわぁ。
どんな娘さんたちかしら?
でも・・・いまどき日本の娘はそんなライフスタイルで働くよりは、実家でニートの道を選ぶよね。
職住近接の共同生活なんてウザイよね。
で、周囲を歩くと近傍には中国東北部の都市名を冠した中華料理屋が一軒。
いや、あの洗濯物の色彩感覚はもっと南国だろ。
その近くにはつぶれたタイ料理屋が一軒。
これか?
あとは思いつく限りの単語でネット検索をかけること暫し。
そして分かったことは、どうも彼女達が意外やベトナム人らしいこと、社長が地元のボランティア団体に関わっていて、そこからベトナムのストリートチルドレン支援組織に繋がってること、その組織のリーダーが70年安保でべ平連の出身だったこと。

地元の人もあまり見えてない、というか気づかないのかもしれないけど、ちょっと歩いていて「あれ?」という小さなサインが都会も田舎もたくさん転がっている。
そうしたものから、いろんな世界に向けて思いを馳せてみるのはとても楽しい・・・と思うんだけどね。

2015-04-28

きのうの夜は

昨夜は下北沢で植木屋Saの送別会。

バイトとはいえ、一年半前にもうひとりのバイトが身体を壊して欠けたこともあり、仕事を辞めるにあたって穴をふたつ開けたままというのもなんなので、バイト仲間から見繕った二人をスケジュールに突っ込んで、この一年の間で徐々に自分の出を減らして彼らと入れ替わるようにしてきた。
いつでも辞めたいときに辞められるのがバイトの良いところだと思えば、これはバイトの身上を逸脱した金にならない御節介なのだけれど、世間に出るべき金が人が居ないという理由で遊んでいるのは勿体ない、だったら周囲に回したいというのが私の趣味である。

そんな訳で私のほかに二人のバイト(どちらもミュージシャン)、会を主催していただいた親方と職人がもうひとり。
それが昨夜のメンバー。

親方は仕事の話は抜きで高尚な御趣味のお話がしたかったようで、たまたま私が20年ぶりに読み返していた上山春平の『照葉樹林文化』をとっかかりに矛を向けてきたのだけれど、これはやや強引に折らせていただいた。
Saは仕事中に親方とあまり仕事のディスカッションできる機会が極端に少ない職場なので、じゃぁ飲み会のときにでも腹を割らなきゃ意味無いじゃん。
つーか、御趣味の話は仕事の合間にもうちら下っ端は互いにいつも話してるんだから、なにをいまさら。
だいたい普段から仕事の話していれば、飲み会は楽しい話だけでオッケーなのになー。
いつもいろんなことが後回しの後手後手になって、送別会みたいな最後のケツにツケが回るのはヤダ。
バイト風情のくせにとは自分でも思いはするが、バイトはいつ首になるかわからない弱者だから黙ろうというよりは、いつ首になってもおかしくないなら言いたいことを言った方がお得だ。
それは、いつ首になっても構わないから試しに俺にやらせてみろと開き直れる立場が、我々の唯一の強みだと思っている。
バイトが守勢に回ると碌なことになりゃしない。

ミュージシャンふたりが終電で帰っていった後、あのふたりは職人ではないから期待はしてないし、最低限以上の仕事を教える気もないという親方と、べつにふたりを職人に育ててほしいと言っているわけではない、ただ自分の生計の為にバイトを飼い殺しにしてしまうようなことはしないでほしいと言いたい私とが静かに激突し、職人のアニキは席を蹴って帰っていくし、なんでこの席に居ないやつらの為に私はこんな不毛なぎろんをしていらっしゃるのでせう、と。

深夜の二時に会がお開きになった後、自宅への8キロの道のりを腹立ち紛れに選挙看板を殴り殴りしつつ、道端に見つけた手押しポンプの井戸(国士舘の裏道と世谷通のボロ市通り近くにあったのだ)を「オリャァァァ!!」と押してジャバジャバ水を撥ね散らし、「かそくそぅぅぅち」と叫びながら(「そ」にアクセント)西へ向かう酔っ払いのこの私。
私はこの難局を一時間半でこうして乗り切り、無事に自宅でお気に入りののモン吉くんを抱っこして眠ることを得たのであった。

で、今朝。
なんだかおててが痛てーよ。
今日は無職で助かったよ。

とりあえず、俺は絶ぇぇぇぇぇ対に職人と研究者にはならねぇ!!
奴らは俺の敵だ(笑)
いやいや、でもマジで。
と、あらためて心の星に誓う私であった。

さぁ、今夜はイベント装飾業の営業Oさんとの差しでの送別呑み。
電車で帰りたい。

2015-04-27

なお、内容的に「愛」とか「冒険」は含まれません

むかーし、むかし、太古の昔。
ネットが星を覆い電子や光が世界を駆け巡るはるか以前、しかし源頼朝が鎌倉に幕府を開くよりはちょっと後。
でも、平成が終わった年よりちょっと前(いやいや、そういう未来は “行き過ぎ” だろう)。
そうさな、万博音頭が日本中に響いた頃よりはまだ後か。
なんかの拍子にTVで「俺たちは天使だ!」なんかを観て(子供は夜8時に寝る家庭だったのだ)、将来こんな仕事してたら楽しいだろうな、などと思ったものだ。
で、時はいま。
さすがに “こんな仕事” =探偵には就いてないものの、金と依頼がない日には自宅兼事務所でクダを巻いているという点においては、幼い日の夢を実現していると言ってよい、この私。
これは、そんな私の日々の仕事ぶりと、日常からの脱力の記録である(予定)。
なお、内容的に・・・・

で・・・・、職業不定な私の朝は早い。
それはカーテンが無い部屋で、日の出と共に目覚めてしまうためでもある。
(故に冬季は寝坊しがちだが)
それでも近所の便利屋のオヤジはさらに早く、だいたい朝5時の時報と共に軽トラで出かけていく。
このエンジン音をタイマー代わりにしているご近所も多いことだろう。
今日の私は仕事が入っていないし、昨夜は26年ほど続けてきた装飾屋の仕事を引退したばかりなので、ちょっとは朝寝坊でもしてみるかと布団にしがみついていたのだが、早朝からその便利屋のメールで目が覚めた。
<<Kioちゃん、来月の○日空いてる?>>
<空いてまーす!>
<<予約ヨロシク>>
依頼内容は一切不明。
しかし私は依頼内容・依頼人を問わぬ仕事人であり、便利屋にすごい便利に使われちゃう程(度)のプロ中のプロである。
ま、いいんでないの?
その後、作業着を洗濯して近所の民家園でコンビニで買ったパンを食べて散歩して・・・老人みたい。

昼に用賀の植木屋からメール。
<<Kioさん、来月の○日空いてる?>>
<空いてまーす!>
<<予約ヨロシク>>

あああぁぁっ、来月まで仕事ないよ、こりゃ。
こんな記録でいいのかっ??
こんな記録がいいのかっ??
誰だ、俺にブログ書けなんて言った奴はっ!!(おまえ責任取れっ!!)

これは、そんな私の日々の仕事ぶり(含・無職ぶり)と、日常的な脱力の記録である(決定!!)。
俺の明日はどっちだっ?