今日はミャンマーの実質的な最終日。
明日の夕方にはマンダレーの国際空港から、シルクエアのエアバスでシンガポールへと向かいます。 さて、今日は午前と午後の二回に分けて市内をゆっくりと歩いてみようと思います。 せっかく来たんだから、マンダレーの良いところを見つけたい。 閑話休題。 今朝のお題は「仏陀とLED」です。 LED照明の発明者が開発に行き詰まっているとき、夢の中に蓮の蕾を手にした仏陀が現れて、その蕾が静かにポンと開いた。 その形から照明の排熱機構が創案されたというのは有名な話ですね・・・ ・・・ダメですよ。 私の駄ボラに付き合っちゃ。 泣いてる女と部屋とYシャツとblogの私は信じちゃいけません。 まぁ、不毛な言葉よりも写真を見ていただきましょう。
判りづらいかな?
仏様の背中というか、頭の回りに放射状に伸びたもの。 「光背」(こうはい)といって後光を表しています。 昔の少女マンガでいえば、王子様のバックに描かれたバラみたいなもんでしょうか。 これ、LEDで光ってます・・・ もっとよく判るパターンも挙げときましょう。
なんなんでしょうね、この感覚は。 最近の発想なんでしょうけれど、他の国でも(たとえば隣国のタイ)流行ってるんでしょうか。 それともミャンマーの独自文化でしょうか。 けっこう大きな寺院でも御本尊の頭の周囲がPopに光ってますし、光るだけならともかくも広告塔みたいに光がグルグル回ったり、放射状に伸びたりと、いくつかのパターンを繰り返すものもあります。 地味にスゴいですよ。 はじめは仏さんも可哀想な・・・とも思っちゃったりしたんですが、そのうちに次の寺院ではどんなLEDが仕込まれてるのかと楽しみになってしまったり。 で、LEDが導入されていないとガッカリしたりとか。 ヤンゴンの中華街では、ミャンマー式というよりは中華式といったデザインの寺院があって、私はそこにもLED光背を求めて訪れたものです。 日本の寺院にも通じる落ち着いたデザインの中に、LED光背はそぐわないよなぁと思いながら。 結論を言えば、そこにはLED光背はありませんでした。 ただ端然と座って衆生を見下ろすありがたい仏様。 やっぱこれだよね。 で、寺を出てから、ふと振りさげ見返った「○○山」という本堂の扁額が・・・ あぁ、LEDで光ってる・・・ こういう科学技術を、直接“どストライク”に信仰の世界へぶつけてくるラジカルさがアジアっぽい。 バガンの寺院遺跡でよく見たんですが、レンガの上を漆喰で固めた白亜の寺院群が元の姿だったようです。 緑の間に映える白が、常ならぬ色彩として人々に興奮と感銘を与えたのでしょう。 それが、そのうちに金箔を施すようになって、いま主流の金ぴか仏塔全盛になったようです。 ミャンマーの大地で遠景を望むと、あちこちの山の上にギラつく陽光を反射して光る寺院が見いだされます。 かなり遠くからでもピカピカ光ってます。 ああいうのを遠く拝んで、あそこに仏の世界があると感じる喜びというものがあるんじゃないでしょうか。 そういう心性からすれば、ペカペカ光るLEDを見た人の多くが、まず最初にこれを使って仏様を荘厳してみたいと、そう思ったとして不思議はありません。 きっと海外でLED装飾がどのような分野で使われているかが判る前に、LEDそのものが入って来ちゃったんじゃないでしょうか。 で、伝統的なハイカルチャー方面に導入されちゃった、とか。 どうなんでしょう、今夜はもう少し街中のLED照明に気を配ってみたいと思います。
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