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2015-08-21

お仕事(便利屋)

最近までやっていた仕事。
便利屋もけっこう面白いお仕事でした。
たまたま隣の家が便利屋兼古道具屋で、挨拶に行ったら仕事手伝ってみるかい、ということになったのが発端。
普段は大将のOさんが一人でやっていて、大きな仕事が入ると手伝いに行きました。
だいたいは亡くなった家族の遺品整理や、ゴミ屋敷の撤去、建物取り壊し前の家財処分なんかです。
中身をきれいに出さないと、解体屋は家を壊してくれませんから。
いろんな家のいろんな秘密にも触れてしまう、亡くなった人の秘密にも意図せずして触れちゃう仕事なんで、あまり書くことはありません。
ただ、ものすごい物量のモノの集積から浮かび上がってくる、そこに暮らした人たちの人格や趣味といった、いわば人となりに浸るような仕事には興味深いものがありました。
先週まで孤独死の腐乱死体があった真夏のアパートで、Oさんと二人で一切合切を整理したこともあります。
死体の整理はアレですけど、私は死体がなければ問題ありません。
人格を疑われるかもしれないけれど、そういう仕事もけっこう好きなんです。
やろうと思っても、そのへんで募集なんかしてない仕事ですからね。
Oさんは私よりも6歳年上の厳つい男で、かなり荒い土地柄の育ちですが、とてもよく気の回る、しかも頭の回転の速い人でした。
ひとりで仕事をしているので、いつも効率よく動くことを考えています。
仕事中にトイレへ行くのでさえ、手ぶらで歩くと叱られました。
「ゴミの一袋でも持って行け」
意図のない動きや無駄なステップも仕事中は厳禁でしたし、依頼人のみならず周辺の家への気遣いも尋常じゃありません。
この10年で、私がいちばんダメ出しを受けた人ですね。
「Kioちゃんは臨機応変な柔軟性に欠ける」「正攻法に真面目すぎる」と。
俺がそれを言われるとは・・・
それでも一人で重量物を運ぶ身体の使い方とか、トラックへの積み込みのノウハウとか、いろんなことを学んだ作業は楽しかったです。
死体の臭いがプンプンしようと、仕事が楽しければ関係ない(笑)
この年齢で勉強できるチャンスはあまり無いですから。
昨年末の忘年会では、「Kioちゃんは80点だな」と言われました。
あんだけ働いて80点かよと不平を鳴らしたら、「バッカ野郎!!俺から80点もぎ取ったんだから有り難てぇと思え!!」と逆ギレされました。
Oさん自身、自分に100点をつけられる現場はいまだ無いんだと思います。
100点まであと20点・・・それは職業としての便利屋が、仕事をとってきて、それぞれの品物やゴミをあるべき場所に捌き、生業として何年にも渡って安定して続けていく中で上がっていくポイントです。
私の80点は、いわば一種のアルバイトの便利屋卒業証書でもありました。
もうちょっと勉強したかったというのが本音ですが、まぁ面白い仕事はどこにでもあるんじゃないでしょうか。

振り返ると

90日という日々は振り返ってみれば、あっという間でした。
たった6カ国で90日とは、かなりのんびりと歩いた旅だったと思います。
財布落としたり、ひったくりに遭ったりもしましたか。
いまはハノイ旧市街の外れにあるカフェで、時間つぶしにノンビリしながらこれを書いています。
あとは出国するだけなので、街を眺めながら一日を静かに過ごしたい。

今回で、こういった形での放浪旅行は終わりにしようと思ってます。
家族旅行でハワイに行きたいとかって子供が言い出したら・・・
そうですね、そういうときは旅行するとは思います。
で、現地についてそこはハワイじゃない(笑)
お父さん、ここどこ?
ハノイだよ。

でも、それはふつうの旅行になると思います。
バックパック旅行だって、来てみればけっこう普通なんですけどね。
引退というほどに海外を渡り歩いたわけではありませんが、これでお終いという理由は、やはり新しい刺激を受けてそれを明日に生かすというような年齢よりも、すでに自分の中にあるものを丁寧に使って明日に生きるという歳頃だと自分で感じることでしょうかね。
もう刺激も経験も十分異常に、もとい十分以上に受けてきましたから。
いまのままじゃ人生の変態経験コレクターで終わってしまう(笑)

実際に昔ほどの刺激を旅から受けなくなったということはあります。
経験を積んだためもありましょうし、年齢的に感受性が鈍ったのかもしれません。
東南アジアの主要国は、なんだかんだ言っても観光客慣れしていて、バックパックの自由旅行という「パッケージ」が流通してますから、その気軽さも破天荒な刺激の減少理由としてあるでしょう。

それが判っていて旅行に出たのはなぜか。
ひとつは26年間の東京生活を明確に区切って過去へと押しやること。
もうひとつは、そこに住んでいる人たち、スマホも使えばバイクも車も持っていて、子供をたくさん抱えて生活してる人たちを見たかったという、素朴かつ失礼な旅人通有の興味。
そして最後が、自分の価値の確認でしょうか。


最後のひとつ、わかりにくいですね(笑)
20代の頃から、日本の法律があまり通用しない世界での「刺激も経験も十分異常に」積んできたものですから、私はあまり自分の価値とか権利とかを尊重できない傾向があります。
どんだけ人権がどう、権利がどうと叫んだところで北朝鮮に拉致されたらら、ISに捕まってオレンジ色の服で正座させられたら・・・それでお終いです。
世界共通のものは案外に少なくて、通用しないところでは通用しないものはとことん通用しない。
ただ、日本の法律が通用しない場所が外国だったら良かったんですが、私の場合は場所が日本国内の株式会社だったんで、問題はさらにややこしくなります(笑)
外国なら諦めもつきますが、法が通じるべき国内で通じないのは話が違う。
圧縮して端的に言えば、3年8ヶ月在籍した会社でお金を貰ったのは4ヶ月分くらいという話なんですが、お金を貰わずに昼間は会社で仕事して、夜はバイトで生活費を稼ぐような生活は、かなり屈折した自己存在の是認要件を生み出します。
もう、ほとんど妄想と想像の世界で、革新的ともいえる自己肯定の発明の嵐(笑)
そんなわけで、他人が自分の権利と正義を声高に主張していても、自分自身についてはどうでもいいやと思っちゃうような人間になってしまった、と。
どれだけ自分が正しいと法律を盾に叫んだところで、出す気のない奴になにかそれを認めさせることも、出させることも難しい。
むしろ自分の価値と権利は、法律が定めてくれるからそこにあるんじゃなくて、自分で常に確かめているものだからそこにある。
他人や法律が認めるか認めないかは、関係ないとまでは言わないけれど、あまり過剰に期待して受け取ってはいけないし、ましてや自分を守る唯一至高の盾にしてはならない。

30代の頃、さる人材派遣会社のシステム部で働いていた頃。
そこの部長が私を評した言葉。
「まったく社会や人生に期待をしない男」
「他人をまったくあてにしない男」
なにか仕事上でトラブルがあっても、他人の責任がどうの自分の権利がどうのという人の話を聞き流しながら、どうせ社会はこんなもんなんだから騒ぐほどのこともない、トラブルですらない、言うだけの時間があったら手を動かせば良いだけのこと。
他人の権利や正義と俺自身は、直接的には関係ない。
そんな感じだったらしいです。
「仕事を自分で作ってくるから手が掛からないけれど、仕事を与えるときは難しい」←ほーら、こんなに面白い仕事だよ、と上司自身が面白がってみせないと興味を示さない=そんなに面白いなら俺にやらせてくれ
「自分の興味と面白がりで仕事しているので、利益誘導も脅迫も効かない」
「サラリーマンとしては危険思想の持ち主」
思い返せばひどい言われようだな(笑)
ただ、部長自身は組織の中での私のイレギュラー性(異常性ではなくて、イレギュラー性です)を重く見て、私はずいぶんとお世話になりました。

ちょっと話が逸れちゃいましたね。
旅行にでるということは、私にとっては仕事しなくてもいい、なにをしてもいい、自由だという世界ではなく、常に全ての行動を自分で決めなくてはいけない日常であり、なんでも自分で確かめなければいけない世界です。
むしろ日本の日常よりも縛りが多くて大変。
で、たいていの場合、私は相手の国の人にとって、大きなお金を持ってきてくれる外国人観光客。
多くの親切をこの90日間受け続けてきたことは認めますが、最初の入り口のほとんどはお金です。
そこでしか、どれだけ払うかでしか、まず私の権利はなく、彼らにとっての私の価値はそこにある。
だからって、それだけを受け入れていくのは人情として寂しい。
やはり、そうじゃない自分の価値とか権利とかを考えてしまいます。
そういうことが、まだ若い頃みたいにできる、自分が何かをするたびに自分がそれに行うに相応しい人間かどうか、何かをして貰うたびに自分がそれを受けるに十分な人間かどうか、自分で納得することができる。
それが私の独り旅をする三つ目の、そして旅行をやめる理由です。
もう確認だけをしている歳じゃないからさ。

一時間ほど前から、カフェに8人ぐらいの日本人が入ってきました。
大学生の男女です。
サークルかなんかの先輩後輩関係ですね。
まったく・・・街歩きもしないで、こんなカフェで時間をつぶしやがって(笑)
そもそも群れすぎ・・・
などと思いつつも、彼らが微笑ましくもあり眩しくもあり。
はやく独りで歩けるようになれよ。
そうしたら、グループでならもっと楽しくなれるから。
たぶんね。

昼の12時になったので、いったん宿に帰って荷造りします。
荷物、ちょー少ないけど。
ではでは。

日本帰国まで、あと1日!!

2015-08-20

お仕事(エロゲー)

お仕事

あと二日で帰国。
仕事を考えねば・・・
なにがやれるのと尋ねられて、何でもやりますとしか答えられない典型的なダメ職歴の人なので、ログアウト先の現実世界の方がお先真っ暗な状況です。
困ったねぇ。

先日ブログに書いていたエロゲー仕事は、08年秋から12年末くらいまでやっていました。
なんでそんなことを書くのかというと、ずっとその道一筋の人と思われるのは困るからです(笑)
その前の3年ほどは、とある外資の信託銀行や、とある財界系のシンクタンクのシステム部で派遣やってました。
昼間はオフィスでスーツ姿、夜はデパートで装飾施工、金曜は徹夜の建築現場という馬車馬の如き働きっぷりでした。
馬車馬だって、あんなに働かないんじゃねーの?
ダラットで観光用の馬車を見ましたが、ほとんど働いていなかったからね。
で、08年に嫁さんが鬱病をこじらせて登校拒否になり、一週間も家から出ずに布団にくるまっているようになり、挙げ句の果てに掃除機のホースで自分の首を絞めながら叫び出したり、夜中の多摩川に飛び込んだりするようになって、さすがの私もこれをエキセントリックで刺激的とか、ネタになる美味しいエピソードとかって受け取るにはいささか器量が足らないだろうってことに気づかされ、昔の伝手を頼って自宅で出来る仕事、すなわちエロゲー開発の下請けを始めた訳です。
なにより帰宅したら嫁さんが冷たくなっていた、という想像がいちばん怖かったんですね。

12年の末くらいまで続けましたが、11年の震災後はほとんんど開店休業状態で、実質的には08年秋からの2年半が私のエロゲー時代です(笑)
エロも含めてゲームなんかしないのに。
元同僚のHさんから旧作のスクリプトを貰って、ざっと眺めて覚えました。
プログラムの才能は皆無なので、ゲームシステムに手を入れることは出来ませんが。
スクリプターにもいろんなタイプの人がいて、システムでザインまでこなすプログラマー寄りの人、シナリオ出身で自分の書いたものを動かすようになった人、大きな会社に入って分業体制の中でスクリプトに特化した人なんかです。
私が世話になったところはメンバーが3~4人の企業同人だったので、スクリプトを打ちながら多少はシナリオもやり、音声・効果音から足りないグラフィックのでっちあげまで、それこそなんでもやりました。
結局は「なんでも屋」です。
システムに関わらない以上はキャラを動かすことに専念できるので、ちょっと異常なくらいにコマンドを入れました。
ほとんどセリフごとに表情かポーズをチェンジさせてましたから、デバッグは大変だったと思います。
でも、技術があるわけじゃないから手数で勝負(笑)
そうじゃなくても動かない電脳桃色紙芝居なんだから、ヒロインくらいは感情表現豊かでないとね。

2年半で17作くらい(訂正20作)作ったと思います。
3ヶ月で2作ペースでしたが、正直な話がよく覚えていない(笑)
私が携わったのはエロゲーの中でも、いわゆる「抜きゲー」と呼ばれるジャンルで、安くてボリュームが小さくてという粗製濫造作品の密集地帯でした。
ほとんどキャラクターの個性が表現される間もなく、いきなりエッチに入ります。
長い前振りは必要ない。
エッチシーンの比率はシナリオの8~9割。
いきおい、あのマンガのあのヒロインとか、あのアニメのあの女の子とかっていうイメージをもろに引っ張ったキャラが続出します。
パクリ?
買う人にとってはそうかもしれませんが、制作側には別の理由もあります。
他作品のイメージを引っ張ったキャラや、ステレオタイプに固定された人物像を引っ張って来ることにより、そのキャラの個性を作中で説明する手間が省け、その分作業量や予算が減らせ、その分をエッチシーンに回せる・・・
要はキャラの書き込みを他作品(とユーザーの脳内ストック)に委ねないと、三月に二作は回らない。

スクリプトはシナリオや絵・音楽・ボイスなどの素材が集まってからの下流工程で、上流の進捗状況に仕事が左右されます。
それが辛くて上流工程のシナリオ作業にも手を出したのですが、ただ単に上流から下流まで忙しくなっただけでした。

シナリオを少しやって自分で気づいたのは、自分の性的な倫理ハードルが想像以上に高かったこと・・・
思ったほど自分は変態じゃないんだ・・・と思い知らされる? ことに。
レイプシーンとか書けませんよ。
だいたいAプレイとかですら、プライベートでやらないことは書けない。
なんででしょう?
やったことがないから?
殺人シーンなら心理的なハードルをあまり感じずに書けるのに。
ま、才能がないってことですね藁

あと・・・
いやいや、果てしないからやめときましょう。
でも、ゲームをプレイするのはしんどいから嫌いだけど、頭をひねって作るのはけっこう楽しかったです。

今日はこれからハロン湾の観光に行ってきます。
ではでは。

2015-07-08

折り返し

人の噂も45日。
梅雨に閉ざされた鬱陶しい日常を過ごす友人・知己から、私もその名を忘れられたのではなかろうか。
俺は忘れたぞ・・・
喜多見駅前の王将定食の値段も、国領駅前の熊王の醤油ラーメン(入り・麺かた)の味も、新宿発相模大野行きの終電時間も、里さんの命日もDさんの余命(後者は冗談として・笑)も、宝飾展の集合時間も、近所のゲオのどこの棚にどのDVDが置いてあるのかも、かつて好いた女の名前も、それから・・・それから・・・

日本を離れて45日。
ようやく旅も折り返し地点となりました。
残り45日でカンボジアを横断してベトナムのメコンデルタへ抜け、そこからハノイまで北上します。
これだけ歩き回って、まだ半分も残っているのか。
さすがに仕事の依頼メールも来ず、スマホは止まったままなので電話もかかってきません。
そろそろ現実的に、次の身の振り方を考え始めねばなりませんかねぇ。
といっても故郷になんの伝手があるじゃなし、いまは「俺なら大丈夫」と自分自身に魔法を掛けることしかできない。
ラミパス・ラミパス・ルルルルルー‼

子供の頃から引っ越しが多く、幼稚園がふたつ、小学校が4つ、中学をみっつ変わりました。
友人から「お父さんがサーカス団員だってホント?」と訊かれたこともあります。
誰になにを吹き込まれたんでしょう?
そんな面白い設定の少年時代があるなら、選んでみたい。
高校と大学の10年間は転校こそないものの、社会に出てからの転職は8回くらいになります。
ただ、スーツ仕事での明確な転職ではなく、フリーター仕事での慢性的な仕事換えも含めると、どう数えていいのか判らない。
東京での26年で引っ越しは11カ所にのぼります。
他に神楽坂の倒産会社時代をはじめとして、あらゆるところで友人・同僚の引っ越しを手伝って、それが15件くらい。
最後の2年間は、便利屋で引っ越しや遺品整理の仕事もしてきましたので、テクニックについては筋金いりとまでは行かずとも、折り紙付きです。

そんなわけで、あまり尻の下を暖めることに拘れません。
かといって故郷らしい故郷を持たないデラシネにも二通りあって、故郷がないからこそ今居る場所に過剰な思い入れを持って馴染もうとするパターン(ラモス瑠衣みたいな?)と、私のようにどこの人でもないという開き直りで生きていくパターンです。
べつにフリーターが自由でよいとか、人生は自由であるべきだとか、サラリーマンは現代の奴隷だとか、非正規雇用のフリーターは奴隷の下僕とかって思っているわけではありません。
個人的には自由はお金があってはじめて得られるものか、あるいはお金があってはじめて自由に価値がでるものと思っていますし、社会を支える確かな柱をサラリーマンが担ってくれてこそ、その柱が堅牢であればあるほど隙間が大きくなって、小回りの利く我々の存在価値がでると思っています。
だから時にサラリーマン(非正規雇用が多いけど)、ときにフリーター。
最終的には、どの世界でも通用する自分を確認することが目的みたいになっちゃっている部分も・・・
そのかわり、どっちに行っても「サラリーマンらしくない」、「フリーターらしくない」と言われてしまうのですが。

TV局の資料整理、ゲームのソフトハウス、イベント装飾、店舗装飾、一般企業のIT部門、ハウスクリーニング、建築作業員、植木屋、エロゲーのスクリプター兼シナリオライター、便利屋 etc・・・
2年8ヶ月在籍して未払いが20ヶ月超の仕事から、時給2600円の契約社員まで様々。

次はそんな仕事のやり方は無理でしょう。
でも、自分のいる場所を居心地良くできるんじゃないかと。
自信過剰でしょうか。
かつてゼミの教授にも「自惚れ屋」と評されましたから、いまは誉め言葉として思い出すことに。

あと思い出すべきことは・・・
宇都宮のいろんな店の餃子の味、どこの醤油ラーメン(入り・麺かた)が旨いか、運転代行の料金や、テツカの命日、近所のTSUTAYAのどこの棚にどのDVDが置いてあるのかも、かつて好いた女の名前は割愛、それから・・・それから・・・

それで日本帰国まで、あと45日!!

2015-07-02

財布なくした無能がなんかゆってます。

いつのまにか7月に入っていました。
一ケ月前は、まだミャンマーに居たというのに。

さて、スマホの万歩計で6月の歩行距離を調べてみました。
30日間でトータル424キロです。
一日平均で14キロをコンスタントに歩いていたことになりますね。
体感的な一日15キロというのも、あながち間違いではなかったようです。
にしても我ながら健脚な。
フリーターは“健脚商売”ですから。
kioの奴は東南アジアで下半身を鍛えまくっている・・・と。
(いや、そういう意味じゃなくてね・・・)
実はこれでも下半身の不安は抱えているのです。
(いや、そういう不安“だけ”じゃなくてね・・・)
昨年10月に砂袋をふたつ、50キロくらいを抱えたまま70cmほどの段差をままよと飛び降りて、左膝上をピキッとやってしまいました。
いまだ完治しておりません。
膝から下をラフに振らないように気をつけています。
そういえば昨年11月にケヤキの剪定でゴミをこなすのに、鉈を振りすぎて右腕がテニス肘になり、いまだに力が入りません。
要するに下手ってことですね。

ともあれその下手くそが、これから日本一のフリーターを目指したいというよゐ子の皆さんに、そしてリストラされて仕事無いから本意じゃないけどフリーターでも一時凌ぎにやろうかな、俺の能力が勿体ないけど社会が悪いからしょうがないという中年フリーター志願者に、その極意を伝授いたしましょう。

■極意、その一!!
『足を止めないこと』

常に走れとまでは言いません。
でも、足を止めるな。
常に歩き回って周囲を見回し、仕事を探しながら作業すること。
他の人の作業内容に気を配ること(だいたい判ったから、それやらせてくれ)。
周囲の進捗状況を常に把握すること。

歩いていると自然にこれらができるようになります。
しかもサボっているように見えないw
作業が一段落したら手を止めて、ボーッと「次なにやる?」と他人の意見を周囲に求める人が居ますが、フリーターは基本的に他人に意見を求める人たちが多いですから、全員が手と足を止めて誰かが発言するのを待ってしまいがちです。
そんでもって誰も発言しない・・・
そういうときに限ってというか、当然のごとくサボっていると見なされます(だからバイトはっ・・・て年下の職人にまで)。
作業が終わってから考えるのではなく、作業中に歩きながら次を考えることができると流れがスムーズに。
しかし、さすがに年齢的にも体力的にも無理!!という場合もあります。
そういうときはこっそり手を抜いたり、現場から消えたりしないで、「ちょっと休ませて」あるいは「限界だから軽い作業に移らせて」と大きな声で言いましょう。
しょうがねぇなぁと言いつつも、怪我されたり倒れられたりするよかマシなんで。
ケースバイケースですが、大きな声で言った方が良いのは、あの人はサボって楽な作業をしているんじゃなくて、彼なりの限界で精一杯の仕事をしているんだという共通認識が皆の間にうまれた方が、結果的にあとあと互いにとって楽になることが多いからです。
無論、次回から呼ばれないという究極的な楽になり方も含めてですが、それはかなりのレアケースでしょう。
あと、二日酔いだからちょっと・・・というケースでは、小声が良いと思いますね(笑)

なんにせよ、足を止めない。
棒立ちにならない。
首を振って周囲を見ろ。

なんだこれ?
サッカー選手か?

なにはともあれ、これで貴方も一人前のフリーターへ一歩近づいた!?

2015-05-24

出国前日の朝

昨日は植木屋Bの最終日。
これからが植木屋のハイシーズンというのに離脱するのは心苦しく、しかし楽しく仕事してきた。
明日は旅立ちの日。
通例だと、旅立ちの前は出かけるなんて皆に言うんじゃなかったなぁ、という想いに駆られて激しく鬱になる。
家の雨戸を閉め切って、出かけたフリをしてしまいたくなるのだ。
根が面倒くさがり、かつ小心なのである。
かつ貧乏。
しかしながら今回に限っては、ま~~ったくその兆候がない。
3ヶ月も雨戸を閉めて生活はできないし、そもそも家を解約して引き払ったという退路の無さが大きいのだろうか。
それ以上に5件の仕事を一年かけて整理し、11回の送別会を開いてもらったという事実の重みが後戻りを出来なくさせているからか?
いまさら東京に残りますと言ったら、おまえに喰わせた肉を返せ、酒を返せと半殺しの目にあうだろう。
最後の一ケ月に至っては10回の送別会だったから、食費が極端にかかってない(笑)
あとは郷里に向けて90日の旅を続けるのみ。
宇都宮への道は遠く険しい・・・

でもって、さっき近所の便利屋に挨拶に行ったら、「これから午前中だけの不要品回収があるんだけど、どう?」、ということで出国24時間を切ったところでお仕事GET!!
まだ始まっちゃいないけど、終わってもいないのさ。

2015-05-16

植木屋

仕事納めは18(月)の植木屋B。
さる弁天堂の池掃除である。
どうせなら、もっと植木屋らしい仕事で引退したいな~、と生意気なことを言っていたのが天が聞いたか社長が聞いたか、剪定仕事に呼ばれて雨のなかを行ってきた。
びしょ濡れになって仕事して、雨が上がって一生懸命に作業しているうちに作業服も乾いて。
しんどかったけど楽しい一日。
夜は事務所に戻ってプチ送別会というべきか、軽く飲んできた。
ここ最近、いちばんお気に入りの仕事だっただけに後ろ髪を引かれる思いもあり、ずいぶんと仕事を振ってもらって良くしていただいただけに感慨も一入。
我々のようなフリーターが呼ばれるのは、社員だけじゃ手が足りないキツイ仕事のときが多いから、作業自体はしんどいことが多かったのだけどね。
もう、このメンバーで仕事ができるのも、月曜が最後かと思うと残念な。

にしても、飲んでばっかりな日々。

2015-05-15

ブラック仲間

昨夜は、かつて2年8ヶ月にわたって在籍していたゲーム開発会社の知己に招かれて、なかなかに敷居の高い浅草のすき焼屋での送別会。
座敷の床の間を背にして、え?いいの?みたいな。
当時のメンバーで業界に残っていて、しかも自分達でメンバーと会社組織を維持し続けているというのは稀なケースで、ゲームにまったくもって興味のない私にとってもこれは嬉しいことである。
あの会社に関しては、何人死のうが斃れようが、誰かひとりでも花を咲かせて幸せになれば、それが自分達みんなの勝利なのだと思っているので。
考えすぎか?
ゲーム業界のベトナム最前線と言われたあの会社も、いまは業界内ですらその名が風化して久しいそうだ。
目視はおろか電波観測も不可能。
光すら歪めるほどの(今をときめく)スーパーブラック企業だったのに・・・
生まれる時代、というか倒産する時代を間違えたな。

集まってくださったメンバーは、私以外はすべてプログラマーとグラフィッカーという現場の開発陣。
そういう畑違いの人たちから声をかけてもらえるのは、隙間仕事専門の何でも屋冥利に尽きる。
今回、あらためて気づいたことは、開発陣と企画・営業職との間にある当時の出来事の受け取り方の差で、ここが日本とはとても思えないような出来事の連続に振り回されつつ、社内といわず社外といわず日々を駆け回る私のポジションと違って、毎日をパソコンの前でじっと作業しながら耐えるという開発陣にとっては、私ほどの面白おかしいエピソードもさほど無い単調な日々であったらしいということだった。
私とてすべてが面白おかしかった訳ではなく、というよりもすべてを面白おかしく受け取らなければ精神を病んでもおかしくない、という環境だっただけである。
いわば無理くりに面白くしていたら、不思議なことに面白いことが集まってくるようになった、というだけの話。
それでも、スキルのあるゲーム好きな人であれば、面白いことを無理に探す前に自分の将来に悩むのが普通なので、私の「面白い」は会社でただ一人だけ業務に興味の無い人間だからこそ抱けた、きわめて特異な世界だったのかもしれない。
そうだとすれば、そのような「異物」を気持ちよく送り出してくれた彼らとの関係は、本当に得がたいものなのではないかと思うのである。
残念なことをひとつ挙げれば、ま~~~ったく私がゲームに興味が無くて、そういう人たちと一緒に仕事ができないことだろうね(笑)
いやいや、だから長続きしてるのかもね。

さぁ、残された送別会はあとふたつ!!

2015-05-11

最後の仕事

今朝は9時に起床。
あー、よく寝た。
文句あるか?

昼間は水道や電気、NHKなどの解約や転居手続き。
夕方、500mlの一番絞りを1ダース買って植木屋Bへ。
御暇をいただきますと最後に残った仕事に別れを告げてきた。
13日にあと一現場あるんだけどね。
真面目できつくて面白い、良い仕事先だったんだけどな。
少しずつ習熟して、信頼も得て、順調に増やしてきた仕事を、これですべて手放してしまった。
淋しいことも確かだけど、縋るものを失った半面で開き直った晴れやかさも。
お金に困ったことは数限りないが、幸いにも仕事に困ったことはほとんど無い。
どこに行っても面白い仕事は見つかるだろう、と思うことに。

「こいつは何の仕事に就いても楽しくなれる奴」
先日の花見でノベジュンから言われた台詞。

まぁ何割り増しかの買い被りだが、そのキャラクター像をキープすることにはチャレンジしてみたい。

2015-04-28

きのうの夜は

昨夜は下北沢で植木屋Saの送別会。

バイトとはいえ、一年半前にもうひとりのバイトが身体を壊して欠けたこともあり、仕事を辞めるにあたって穴をふたつ開けたままというのもなんなので、バイト仲間から見繕った二人をスケジュールに突っ込んで、この一年の間で徐々に自分の出を減らして彼らと入れ替わるようにしてきた。
いつでも辞めたいときに辞められるのがバイトの良いところだと思えば、これはバイトの身上を逸脱した金にならない御節介なのだけれど、世間に出るべき金が人が居ないという理由で遊んでいるのは勿体ない、だったら周囲に回したいというのが私の趣味である。

そんな訳で私のほかに二人のバイト(どちらもミュージシャン)、会を主催していただいた親方と職人がもうひとり。
それが昨夜のメンバー。

親方は仕事の話は抜きで高尚な御趣味のお話がしたかったようで、たまたま私が20年ぶりに読み返していた上山春平の『照葉樹林文化』をとっかかりに矛を向けてきたのだけれど、これはやや強引に折らせていただいた。
Saは仕事中に親方とあまり仕事のディスカッションできる機会が極端に少ない職場なので、じゃぁ飲み会のときにでも腹を割らなきゃ意味無いじゃん。
つーか、御趣味の話は仕事の合間にもうちら下っ端は互いにいつも話してるんだから、なにをいまさら。
だいたい普段から仕事の話していれば、飲み会は楽しい話だけでオッケーなのになー。
いつもいろんなことが後回しの後手後手になって、送別会みたいな最後のケツにツケが回るのはヤダ。
バイト風情のくせにとは自分でも思いはするが、バイトはいつ首になるかわからない弱者だから黙ろうというよりは、いつ首になってもおかしくないなら言いたいことを言った方がお得だ。
それは、いつ首になっても構わないから試しに俺にやらせてみろと開き直れる立場が、我々の唯一の強みだと思っている。
バイトが守勢に回ると碌なことになりゃしない。

ミュージシャンふたりが終電で帰っていった後、あのふたりは職人ではないから期待はしてないし、最低限以上の仕事を教える気もないという親方と、べつにふたりを職人に育ててほしいと言っているわけではない、ただ自分の生計の為にバイトを飼い殺しにしてしまうようなことはしないでほしいと言いたい私とが静かに激突し、職人のアニキは席を蹴って帰っていくし、なんでこの席に居ないやつらの為に私はこんな不毛なぎろんをしていらっしゃるのでせう、と。

深夜の二時に会がお開きになった後、自宅への8キロの道のりを腹立ち紛れに選挙看板を殴り殴りしつつ、道端に見つけた手押しポンプの井戸(国士舘の裏道と世谷通のボロ市通り近くにあったのだ)を「オリャァァァ!!」と押してジャバジャバ水を撥ね散らし、「かそくそぅぅぅち」と叫びながら(「そ」にアクセント)西へ向かう酔っ払いのこの私。
私はこの難局を一時間半でこうして乗り切り、無事に自宅でお気に入りののモン吉くんを抱っこして眠ることを得たのであった。

で、今朝。
なんだかおててが痛てーよ。
今日は無職で助かったよ。

とりあえず、俺は絶ぇぇぇぇぇ対に職人と研究者にはならねぇ!!
奴らは俺の敵だ(笑)
いやいや、でもマジで。
と、あらためて心の星に誓う私であった。

さぁ、今夜はイベント装飾業の営業Oさんとの差しでの送別呑み。
電車で帰りたい。

2015-04-27

なお、内容的に「愛」とか「冒険」は含まれません

むかーし、むかし、太古の昔。
ネットが星を覆い電子や光が世界を駆け巡るはるか以前、しかし源頼朝が鎌倉に幕府を開くよりはちょっと後。
でも、平成が終わった年よりちょっと前(いやいや、そういう未来は “行き過ぎ” だろう)。
そうさな、万博音頭が日本中に響いた頃よりはまだ後か。
なんかの拍子にTVで「俺たちは天使だ!」なんかを観て(子供は夜8時に寝る家庭だったのだ)、将来こんな仕事してたら楽しいだろうな、などと思ったものだ。
で、時はいま。
さすがに “こんな仕事” =探偵には就いてないものの、金と依頼がない日には自宅兼事務所でクダを巻いているという点においては、幼い日の夢を実現していると言ってよい、この私。
これは、そんな私の日々の仕事ぶりと、日常からの脱力の記録である(予定)。
なお、内容的に・・・・

で・・・・、職業不定な私の朝は早い。
それはカーテンが無い部屋で、日の出と共に目覚めてしまうためでもある。
(故に冬季は寝坊しがちだが)
それでも近所の便利屋のオヤジはさらに早く、だいたい朝5時の時報と共に軽トラで出かけていく。
このエンジン音をタイマー代わりにしているご近所も多いことだろう。
今日の私は仕事が入っていないし、昨夜は26年ほど続けてきた装飾屋の仕事を引退したばかりなので、ちょっとは朝寝坊でもしてみるかと布団にしがみついていたのだが、早朝からその便利屋のメールで目が覚めた。
<<Kioちゃん、来月の○日空いてる?>>
<空いてまーす!>
<<予約ヨロシク>>
依頼内容は一切不明。
しかし私は依頼内容・依頼人を問わぬ仕事人であり、便利屋にすごい便利に使われちゃう程(度)のプロ中のプロである。
ま、いいんでないの?
その後、作業着を洗濯して近所の民家園でコンビニで買ったパンを食べて散歩して・・・老人みたい。

昼に用賀の植木屋からメール。
<<Kioさん、来月の○日空いてる?>>
<空いてまーす!>
<<予約ヨロシク>>

あああぁぁっ、来月まで仕事ないよ、こりゃ。
こんな記録でいいのかっ??
こんな記録がいいのかっ??
誰だ、俺にブログ書けなんて言った奴はっ!!(おまえ責任取れっ!!)

これは、そんな私の日々の仕事ぶり(含・無職ぶり)と、日常的な脱力の記録である(決定!!)。
俺の明日はどっちだっ?