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2015-07-06

やべぇ

今夜のベッドで南京虫発見!!
えぇぇ~!!
マジすか!?

チャオプラヤー川


いろいろと考えた末にタイを引き払うことにしました。
パタヤーみたいなとこに行ってもしょうがないし、東北部へ行って戻ってくるのもタルい。
バンコクで沈没してもなぁ、と。
居心地は良いのですが、バンコクなら歳を取ってからも来れる。
で、どうせなら物価の安いカンボジアへ入っちゃうことに。

今日はルンピニーの宿を引き払い、北バスターミナル(モーチット・マイ)に近いサパーン・クワーイ駅周辺に宿替え。
明日の朝、バス・ターミナルへ楽に入れるように。
タイへの滞在は13日間でした。

さて、せっかくなんで昨日のチャオプラヤー川クルーズの様子をアップしときましょうか。



前回、来たときに下流のタークシン橋から、カオサンに近い上流のブラ・ピンクラオ橋の北まで、左岸を川沿いに歩き通したことがあります。
今回は同じ区間を1day Ticketを買ってボートで上下しました。
最初は通しで下流から上流へ、帰りは乗り場ごとに降りて周辺を歩き回りました。



もう、あっちでもこっちでも迷って迷って迷った末に、思いがけない方角で川に飛び出したりして。
川が蛇行しているので、方角を失いやすいのです。
ところで「メナムの残照」って知ってます? タイの女流作家トムヤンティの小説で、私は角川文庫の邦訳を10年前に読みました。 第二次大戦中のバンコクが舞台で、進駐してきた日本軍の若き海軍将校と同じタイ人の男性との間で揺れる女性の心を綴ったメロドラマです。 個人としては魅力的だけど愛してはいけない国の軍人と、一緒に育ってきてその魅力に気づけない同胞男性との板挟み。 あんまりにベタなんで小説としては面白味に欠けましたが、映画の原作としては良いのではと思っていたら、この作品は昔ドラマで爆発的なブームになったんだそうです。 余談ながら、一昨年に映画でリメイクもされているそうです。 なんでこんな話を持ち出すのかというと、小説中の日本軍将校が造船所の責任者をしていまして、それがブラ・ピンクラオ橋をトンブリー側に渡った北詰にあるという設定なのです。 カオサン裏手の川岸から、ちょうどお向かいです。 そんな訳で9年前に、その辺りをけっこうしつこく歩いた覚えがあります。 作中では、造船所の周囲はミカン畑の間に一軒家の民家がぽつぽつと立ち並ぶ、長閑な環境として描かれています。 昔の隅田川でいえば長命寺辺りのイメージでしょうかね? しかしながら9年前の時点でブラ・ピンクラオ橋右岸の北詰は、できたての高層マンションが聳えておりました。 え?ここがミカン畑?てな感じ。 そんな中をズンズン歩き回って、どぶ川と化した小運河の上に渡された踏み板の商店街を抜け、思いがけず飛び出た渡し場にたどり着いたとき、塀の向こうに古びた一軒家の広い庭と、そこに茂るミカンの枝を見つけてとても嬉しかったことを覚えています。 そして9年後の今回。 まだ、その家もありました。
その家とミカン
水辺に沿って家々がぽつぽつと、緑の中に屋根を覗かせていた時代に思いを馳せていたところが、なんだ隣のあれ?
あれってもしかして・・・9年前は気づかなかったけど・・・



造船所?
だよねぇ・・・
作中のものとは関係がないのかもしれません。
そういう造船所が昔はたくさん並んでいたのかも。
それでも「あ、揃った!!」という喜びに、ひとりで笑いが止まらなくなってしまったのでした。
なんて気持ちの悪い奴(笑)
でも、きっと地元のタイ人でも年寄りじゃなきゃ見えていない景色なんじゃないかと思うと、頭ん中は幸福物質でいっぱいにな
っちゃいますね。 そういえばタイに日本軍が進駐したときに戦闘はなかったんだと思っていたんですが、先日のプラチュアップ・キーリーカンでは日本の上陸部隊と海辺のタイ空軍基地守備隊との間で一昼夜半に渡って激闘があったんだそうです。 上陸直前にタイ政府から日本軍のタイ国内通過許可を受けたはずが、地方の守備隊に中央からの連絡が遅れたんだそうで、しかもプラチュアップ・キーリーカンの場合は無線機の故障で指令そのものが届かなかった。 その軍隊らしからぬいい加減さを責めるのは簡単ですが、そもそも通過許可というのも言葉の綾で、実態はタイの主権を認める形での侵略ですから・・・ そんな話は、実際にあの海辺に立つまで知りませんでした。
さて「メナムの残照」では終戦とともに日本軍が去り、ヒロインは自らの立つべき場所と進むべき道を確認するかたちで幕を迎えます。 それもまたベタな結末ですが、そのヒロインの心情に私たちには感じられないリアリティを認めて熱中できるのがタイ人です。 造船所やミカン畑が見えても、そういう部分は異国の旅行者である私にとって、見ようにもなかなか見えそうにありませんね。
関係ない画像ですが、あのマークはもしかして・・なんで?
また取り留めもなく・・・
では、日本帰国まで、あと48日!!

2015-07-05

お休み

軽い頭痛😖💥
今夜はオチ考えたりとか面倒なんで、もう寝ます。
明日一日完全オフにして、それからカンボジアへ向かおうかな。

日本帰国まで、あと49日‼

2015-07-04

再度バンコク

ども、昨夕に再度バンコク入りしました。
今回は中心部を通りすぎてやや東側。
ルンピニーあたりに止宿しております。
「地球の歩き方」流に言えば「マレーシアホテル周辺」の安宿街。
以前来たときより、やや寂れた印象が。
というより表通りに高層マンションやホテルが建って、雰囲気が変わっています。
貧乏旅行客的な観点から寂れた、ということですな。

夜食を食べにサヤームまで往復8キロくらい歩きましたが、この十年弱で超高層コンドミニアムとかが増えています。
町も綺麗になりました。
歩道の切れ目の段差が、ほとんどの場所でスロープに直されて、歩くのが楽になりました。
街路では探さねばならないくらいトゥクトゥクが減ってますが、排ガスの空気の悪さはさほど変わっていないような。

現在、旅程が予定より5日ほど前のめりになっています。
あんなにゆっくりとマレー半島を北上したのに・・・
このままカンボジアへ入るか、すこしバンコクで骨休めするか、あるいは数日をタイの東北部へ討って出るか、悩んでおります。

とりあえず本日は、これからチャオプラヤー川を運行する乗り合いボートで観光してきま~す。
ではでは。

2015-07-03

泰緬鉄道

本日はバンコクから西へ120キロ、カンチャナブリーの町に来ています。
大戦中に日本軍がタイとミャンマーを結ぶために敷設した鉄道に乗るためです。

朝7時に誰も起きていないドミトリーを抜け出して徒歩でトンブリーの駅へ。
40分かけて行って切符を買おうとしたら、「列車は運行してない」と言われました。
駅員が指さす先には英語の張り紙が。
こんなの気づかなかった。
理由までは読まなかったけど、トンブリーから途中までは列車が走っていて、本線から支線に入るとこから運行していない様子。
で、またカンチャナブリーの町から終点のナムトックまでは運転している。
完全にこれ、外国人観光客向けに路線を限って営業しています。
仕方がないのでモトサイでロットゥーのステーションへ移動。
出発した宿のすぐ近くにこれがあって、なんだったんだ40分。
カンチャナブリーまで2時間ジャスト、100バーツでした。

さて、肝心の旧泰緬鉄道ですが。
これが良かった・・・
何両かのうち一両は木製の椅子で、雰囲気は旧国鉄時代の鈍行旅行。
カンチャナブリーを出れば風景は畑と山とクワイ川だけ。
片道二時間半の旅でした。










いつか、この路線が復活してミャンマーのヤンゴンまで国際列車が走るかもしれないとの話しも聞きますが、いまの老朽線路で貨物輸送は無理でしょう。
いまのまま鄙びた沿線風景を走るローカル線でいてほしいです。

さて、ここんとこずっとタイのお寺でもLEDを気にしています。
(しつこい男だね、嫌われるよっ!!)
華人の祠廟も覗いています。
ありませんねぇ。
カンチャナブリーはミャンマー国境に比較的近いのですが、やはり仏様や神様は蛍光灯で照明されていることはあっても、自らの光をLEDやなんかで表現したりしていません。
やっぱあれってミャンマーの独自文化だったんですね(笑)
なんか嬉しいです(笑)

そういえばタイに来て困ること。
タイは身なりもラフな姿でたいていのところへ行け、コンビニが発達していて日本で買えるものはなんでも手に入り、交通機関も便利です。
でも旅行していて困ることがひとつ。
それは英語表記が極端に少ないことです。
バスの行き先表示や店の看板、地図の表記など、多くのものがタイの国字表記だけなのです。
ミャンマーはわりと英語併記が多かったです。
イギリスの植民地だったからかな?
シンガポールは経済大国だし、なにより華人の国なんで町に繁躰漢字が溢れていました。
マレーシアは他民族国家なんで、なんでもとりあえずは皆が読める英語です。
タイはというと独立を守り通してきた自負からか、英語なんてハナもひっかけません。
おかげでどこへ行くのにも、字が読めないから人に訊いて尋ねて確認して。
下手するとホテルの看板すらタイ文字オンリーで、宿が見つからずに路地をウロウロしたりして、しかも地元で通るホテル名の他に外国人向けの洋風ホテル名を持っていたりすることも。
で、Agodaで予約してるんですが、そのAgodaの地図が間違っていることも、ままあったりして。
意外とそういう小さな不都合が気疲れの種になりますね。

明日はカンチャナブリーを離れてバンコクへ舞い戻ります。
今回はトンブリーではなく、もすこし都心のルンピニー近辺に宿を取りました。
そういえば昨夜泊まったドミトリーですが、Agodaで調べたらバンコクで登録されている1700件ほどのホテルのうち、下から三番目に安い宿でした。
550円くらいだったと記憶していますが、それはAgodaの手数料込みの値段で、ホテル自体の金額表示は445円だったかな。
それより安いのがあるとは・・・
最安値はチャイナタウンの外れの外れの大外れにある、一泊350円くらいのとこですが、もう若くないから無理な冒険はやめにしておきます。
一人旅なのに、変なとこに泊まって体調崩すの怖いもん。

日本帰国まで、あと51日!!

2015-07-02

バンコク到着

(昨夜書いてアップできなかったもの)

バンコクに来ています。
といっても観光客がイメージするバンコクじゃなくて、カオサンのさらに西、チャオプラヤー川を渡って徒歩20分ほど、トンブリーの北の外れにあるバックパッカー宿。
これ以上西に外国人の泊まるようなゲストハウスは、もう無いよってところです。
しかも場末だからか一泊550円くらいの激安価格。
17人部屋のドミトリーで、けっこうな客が入っていますが、皆さん欧米人です。
例によって昼間ゴロゴロしていて、日暮れとともに全員カオサンへ飲みに行っちゃいました。
ものすごい場末の宿という雰囲気が漂ってますw
なんというか・・・高円寺や荻窪あたりのライブハウスに二段ベッドを放り込んだみたいな感じ、と言えば判ります?
カオサンには、この金額の宿ってもう無いからね。

今日はペッチャブリーの宿を9:20に出立。
念のため駅に寄って7時過ぎの各停が来る前かどうか確認しましたが、すでに通過済みでした。
次は午後まで各停はなく、あるのは急行だか快速のみ。
240バーツ(くらいだったと思う)と聞いて、ロットゥーに切りかえました。
駅から東に少し戻ったところにあるロットゥー乗り場で買ったチケットは100バーツ。
9:40頃発で、バンコクの戦勝記念塔前(終点)着が12:10。
残念ながらロットゥーの方が圧倒的に安くて速い。

さて、初めての町に入ると必ずすることがあります。
町からの脱出経路の確認です。
バスターミナルや駅、ロットゥー乗り場の位置を足で歩いて距離や時間を調べます。
次の移動時の出足でバタバタしないで済むように。
今日はトンブリー駅まで歩いて時刻表を確認し、ついでにチャオプラヤー川を渡ってカオサンを見物してきました。


9年ぶりのバンコク、しかも下町ではありますが、ずいぶんとイメージが変わった感じがします。
こんなに綺麗で歩きやすい町だったっけ?
カオサンは喧噪と人混みが煩くて、宿の部屋が狭くて高いので敬遠しましたが、9年前と比べてちまちまとした店が減って大型のレストランバーが増えています。
通りの中央北側に日本人ばかりが屯していた路地があって、私も二泊したことがあるんですけど、ずいぶんと雰囲気が変わって日本人の姿は見あたりませんでした。
私がかって泊まった宿自体は健在でしたが、客層は欧米人にシフトしているようです。
カオサン通り 




夏休み前の日本人客の少ない時期とはいえ、路地のオープンチェアでビールを飲んでいた日本の若者たちは、どこに消えてしまったのでしょう?
円安で貧乏日本人が旅行しなくなってるのかもしれません。
ま、他人のことはどーでもいーけど。
あと減ったもの。 トゥクトゥク。 インターネットカフェ。 とくに後者はネットブームとともに雨後の竹の子みたいに増えたようですが、いまはほとんど見かけません。 べつに外国人旅行者が使わなくなったからじゃなくて、タイの家庭にもネットが普及し、かつ殆どの人がスマホを持つようになったからでしょう。 以前は夕方になると、IP電話で遠隔地や海外の家族と連絡を取り合う人たちの姿が多く見られましたが、そういうことが家庭でできるようになったんでしょうね。 僅かに残っているのは、ネットゲームに特化したブロードバンドのネカフェだけです。 しかもこれがそれなりに、まだ繁盛しているw 皆同じ方向を向いてゲームに熱中している様は、日本のパチンコ風景を想起させられます。
この分だとバンコクの都心部も変わったのかなぁ、と。 しかし明日の早朝はトンブリーの駅から西へ。 現役復帰した乗り鉄として、やはり泰緬鉄道に乗ってきます。 「戦場にかける橋」ですね。

2015-07-01

ペッチャブリー

ホア・ヒンより北へ80キロ、ペッチャブリーに来ております。
浜辺のリゾートタウンから一転して、地味な田舎町。

今日は鉄道ではなくローカルバスを使いました。
この二日間使ってきた各停の列車番号254は、北上するにつれて遅延も増し、ホア・ヒンからだと13時くらいの出発となります。
それでペッチャブリーに着いてチェックインしたら、午後の観光なんかできない時間になるはず。
日中のまともに使える各停は、事実上これ一本なんです。
急行や快速は何本かあるけど、これは高い。
といってロットゥーは使いたくない。
そんな訳でローカルバス。

10:45ホア・ヒン発、12:30ペッチャブリー着、40バーツでした。
ガタガタのボロバスでしたが、まぁそれなりに楽しかったです。

さて本日の宿ですが、バンブーハウスです。
ペッチャブリーの市街中心部を流れる川の、その橋の袂にあります。
ぱっと見はリゾートコテージっぽいんですが、そんな上等なもんじゃなくて、かなりガチなバンブーハウス。
建物は傾いでるし、扉は壊れていて閉まらないし。
窓はガラスじゃなくて、つっかえ棒で壁の一部を持ち上げるやつ。
ここもカギはなし。
そこから侵入できるんだから、扉が壊れていてもいなくても関係ないやって割り切りました。

床から180cmくらいのところで壁が終わって、屋根との間に40cmくらいの風通しがあり、蚊が入ってきます。
例によってトカゲも入ってきました。
タイのトカゲって蛙みたいに鳴くんですよね。
トカゲはいいとして、蚊は大問題です。
しかし、この宿は蚊帳が完備してあります。
人生初の蚊帳体験でしたが、日本の蚊帳と違って丸いドーム状。
しかもポリエステルでメッシュのカーテンと同じです。
日本の蚊帳のような藍染の蒼とか、麻の香りとかのノスタルジーとは無縁でいささか残念。
実は個人的な憧れの一つに蚊帳を買うというのがあります。
エアコンとワンルームマンションが嫌いなので、いつも戸建ての文化住宅を借りるのですが、真夏に庭に面した扉を開け放って蚊帳で眠りたい。
で、調べてみたら六畳用のまともな蚊帳だと5万円くらいする(笑)
あぁ、タイとは関係のない話になってしまった。
ペッチャブリー市街
そういえば今回の旅行で蚊に悩まされるのは、今日が初めてです。 季節的なものなのでしょうが、ミャンマーには蚊は皆無でした。 リンリン氏が平原を指さして、来月には水に沈むと言っていましたから、今頃はいるんじゃないでしょうか。 以降、蚊に刺されたのはマラッカで一回だけ。 タイに入ってからもそんなに蚊はいませんでした。 ここ数日の移動で日に日に雨が多くなっており、蚊の出現とともにメナム川の平原地帯に入りつつあることを実感しています。 そういえばトカゲが鳴き出したのも、この数日ですね。 もうひとつ、そういえば。 この町にもトゥクトゥクはいません。 軽のソンテウがホア・ヒン同様に幅を利かせていますが、ホア・ヒンと違って座席が進行方向に対して横座り、つまり普通のソンテウです。 ホア・ヒンのトゥクトゥク型座席ソンテウは何だったんでしょうか。
さてさて、ここしばらく北に進路をとってきた旅も、そろそろ方向転換の時期が参りました。 明日はいよいよバンコク入りです。 バンコクといっても中心部ではなく、西のはずれのトンブリーに宿を取って、すぐに地方へ出てしまいますが。 いずれにせよ、そろそろ東へと大きく向きを変える頃合いです。 バンコクでHPを回復させ、装備を整え直してカンボジアへ。 日本帰国まで、あと53日!!

2015-06-30

ホア・ヒン

こんばんは。
バンコクから南西に約200キロ。
ホア・ヒンの町に来ています。
感覚としては、既に「関東」入りしているという感じがします。
ここは白人観光客と中国人観光客がしのぎを削るビーチリゾートで、今回の旅行で初めて砂浜で泳いだり肌を灼いているビキニのお姉さん達を拝見しました。
ホアヒンの浜辺
ビキニのおばちゃんやおばあちゃんも多いですけど。
泳いでいるのは白人達。
中国人達はシーフードレストランで爆食いしています。
私も小額紙幣が少なくなってきたこともあり、1000バーツ札を崩そうと思って少々お高いベイサイドのレストランへ。
300バーツくらい食べちゃおうかな、なんて甘いことを考えながらメニューを見ていたら“Sashimi”の文字が目に刺さる。
うぉっ!!刺身があるよっ!!
思わず後先考えずに刺身とチャーハン頼んでメニューを見直したら、刺身は650バーツだった・・・うぅ・・・二泊分の宿賃より高いかも。
で、刺身と醤油が出てきて、ピンポン球くらいのワサビが御愛敬。
日本人もそんなにワサビは使わないって。

真ん中が刺身
刺身は魚を一匹捌いたらしく、なにこれってくらいに山盛りで、こんなにあるんじゃビールがないとってちょっとした不注意が大惨事に発展。締めて950バーツの散財となりました。
大枚が一枚消えちゃった。
肝心のお味ですが、最初の一口は絶品でした。
なぜって一ケ月以上ぶりの醤油ですから。
魚の味より醤油に600バーツって感じです。
その魚はというと、なにか判らない白身魚でしたが不味くはありません。
むしろ最初のうちは舌触りもよくて醤油に馴染んで良かったです。
ただ、量が多いんで持て余しているうちに水気を吸って、鮮度が落ちちゃいました。
残念。
やっぱり何人かでワイワイやりながら食べに来るところなんでしょうね。

若干、話は戻って今朝。
朝のプラチュアップ・キーリーカン

プラチュアップ・キーリーカン10時発の列車は、やはり遅れて11:10発。
ホア・ヒン着が13時で所要1時間50分、19バーツ。

水田?
水田
エビの養殖場
プラチュアップ・キーリーカンからホア・ヒンにかけての沿線風景は面白いです。
それ以南だと、ひたすら山地風景か単調な椰子・ゴムのプランテーション林だったのですが、この区間は海沿いが多く、また海際に奇山が聳え、周囲もエビの養殖池が延々と続くかと思えば次は荒れ地、次は水田地帯と目まぐるしく景色が変わるので、乗ってるだけで幸せという“鉄”な人でなくても楽しめると思います。
あとついでに気づいたことを幾つか。 ホア・ヒンに来て今回初めてトゥクトゥクを見ました。 タイ=トゥクトゥクなイメージがあるのですが、あれってタイの南部では走っていません。 ただホア・ヒンのトゥクトゥクは庶民の足と言うよりも、観光客向けの色彩が強いようです。 台数も少ないし、観光客の多いところにしか居ませんから。 むしろ庶民の足は、ハイゼットの小型ソンテウでしょうか。 これの少し変わったところは、ふつうのソンテウが進行方向に向かって横座りに客が座るのに対して、ここのはトゥクトゥク同様に前向きに座るところです。 つまり、あまり多くの人を乗り合いさせることを前提にしてないことです。 もしかしたらこれ、トゥクトゥクから切り替わったんじゃないでしょうか? 実質的なトゥクトゥク後継車種。 で、生き残っているトゥクトゥクが少数だけ観光客用になっているのでは? この説の難点は、ハイゼットの年式がみな古いことです。 みんな丸目の550ccのように見えます。 最近切り替わった・・・という訳ではなさそうな。 どうなんでしょう。 プラチュアップ・キーリーカン。 なぜか床屋と美容室が多かった。 飯屋の少なさとは対照的に。 小さな町なのに、こんなに要るかってくらいに。 あとあの町でもうひとつ。 あそこはミャンマー国境まで10キロちょっとしかないところなんですが、ときどきミャンマー人と思われる人を見かけました。 男性だと私には判りませんが、女性だと顔にタナカという白い化粧をしているのでそれと判ります。 屋台で働いていたり、市場のゴミ清掃をしていたり。 出稼ぎなんでしょうかね。
夜は反省して30バーツの屋台麺
長くなっちゃった、というか取り留めもなくなったので、この辺で。 明日は北に80キロ。 ペッチャブリーを目指します。
日本帰国まで、あと54日!!

2015-06-29

プラチュアップ・キーリーカン

昨夜は更新をサボってしまいました。
オトナにはそんな夜もあるのよっ(寝てただけ・・・)。
おかげで体調も戻りました。

さて、昨日はチュムポーンからプラチュアップ・キーリーカンへ移動しました。
連日のロットゥー移動で反省し、鉄道利用を決意。
前日に調べておいた朝7時発の各停に乗るため、6時半に宿を出立。
どうせ遅延で時間通りに来ないことは判っているけどね。
6時40分に窓口に着くと、列車は8時発に変更になったとのこと。
運賃はたったの34バーツ。
ロットゥーだったら200バーツ弱はするはずだから、いかに金を使っていたことかと反省しました。
この列車は早朝5時代に運行の始まる始発列車なのですが、たった一時間の運行でさらに遅延が一時間て、なんでそうなる?
時刻表を見ると、どうも夜行列車が多いように思えます。
と言っても本数自体は大したことなくて、ただ昼間の運行本数と比較して夜行のウェイトが、日本に比べてとんでもなく高い。
で全線単線ですから、夜行の遅れがそのまま朝の始発に反映されるのでは?
毎日二日酔いのまま、現場にでる男のことを想像すれば宜しいかと。
さて、予定の8時を15分過ぎて列車は入線し、発車は8:20。


見送りの人がホームにいたり、車内販売のおばちゃんたちが入れ替わり立ち替わり歩き回ったり。
あぁ、これだ、やっぱ旅はこれだよね、と忘れたはずの“乗り鉄”の血久しぶりに騒ぎます。
トロトロ走る列車の中、長閑な沿線風景を楽しみながら右の窓から入ってきた蝶が左の窓に消えていくのを見送ったり・・・
そんなこんなでプラチュアップ・キーリーカン。
10時着予定が11:20に着きました。

この町、海しかないです。
市街も小さくて飯屋も少ない。
どうも華人の少ないところは飯屋も少ない気がする。
『地球の歩き方』にも頁がありません。
でも、海の眺めはとても素晴らしいです。






宿の前が海。
あんまり何もないんで、ついビールを中瓶で一本頼み、堤防に腰掛けて月夜の海を肴に呑んでしまいました。
付け合わせは遠く沖合を通過する嵐の、その遠雷の閃きに浮かび上がる島影。
ああいうのをリゾートって言うんかしらん。

今朝は5時半起きで浜辺に出かけ、日の出を拝んでまいりました。



これから朝飯を食って、昨日と同じ鈍行で100キロ北のホア・ヒンを目指します。
どうせ11時を過ぎないと来ないんだろうな・・・