いろいろと考えた末にタイを引き払うことにしました。
パタヤーみたいなとこに行ってもしょうがないし、東北部へ行って戻ってくるのもタルい。
バンコクで沈没してもなぁ、と。
居心地は良いのですが、バンコクなら歳を取ってからも来れる。
で、どうせなら物価の安いカンボジアへ入っちゃうことに。
今日はルンピニーの宿を引き払い、北バスターミナル(モーチット・マイ)に近いサパーン・クワーイ駅周辺に宿替え。
明日の朝、バス・ターミナルへ楽に入れるように。
タイへの滞在は13日間でした。
さて、せっかくなんで昨日のチャオプラヤー川クルーズの様子をアップしときましょうか。
前回、来たときに下流のタークシン橋から、カオサンに近い上流のブラ・ピンクラオ橋の北まで、左岸を川沿いに歩き通したことがあります。
今回は同じ区間を1day Ticketを買ってボートで上下しました。
最初は通しで下流から上流へ、帰りは乗り場ごとに降りて周辺を歩き回りました。
もう、あっちでもこっちでも迷って迷って迷った末に、思いがけない方角で川に飛び出したりして。
川が蛇行しているので、方角を失いやすいのです。
ところで「メナムの残照」って知ってます?
タイの女流作家トムヤンティの小説で、私は角川文庫の邦訳を10年前に読みました。
第二次大戦中のバンコクが舞台で、進駐してきた日本軍の若き海軍将校と同じタイ人の男性との間で揺れる女性の心を綴ったメロドラマです。
個人としては魅力的だけど愛してはいけない国の軍人と、一緒に育ってきてその魅力に気づけない同胞男性との板挟み。
あんまりにベタなんで小説としては面白味に欠けましたが、映画の原作としては良いのではと思っていたら、この作品は昔ドラマで爆発的なブームになったんだそうです。
余談ながら、一昨年に映画でリメイクもされているそうです。
なんでこんな話を持ち出すのかというと、小説中の日本軍将校が造船所の責任者をしていまして、それがブラ・ピンクラオ橋をトンブリー側に渡った北詰にあるという設定なのです。
カオサン裏手の川岸から、ちょうどお向かいです。
そんな訳で9年前に、その辺りをけっこうしつこく歩いた覚えがあります。
作中では、造船所の周囲はミカン畑の間に一軒家の民家がぽつぽつと立ち並ぶ、長閑な環境として描かれています。
昔の隅田川でいえば長命寺辺りのイメージでしょうかね?
しかしながら9年前の時点でブラ・ピンクラオ橋右岸の北詰は、できたての高層マンションが聳えておりました。
え?ここがミカン畑?てな感じ。
そんな中をズンズン歩き回って、どぶ川と化した小運河の上に渡された踏み板の商店街を抜け、思いがけず飛び出た渡し場にたどり着いたとき、塀の向こうに古びた一軒家の広い庭と、そこに茂るミカンの枝を見つけてとても嬉しかったことを覚えています。
そして9年後の今回。
まだ、その家もありました。
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その家とミカン |
水辺に沿って家々がぽつぽつと、緑の中に屋根を覗かせていた時代に思いを馳せていたところが、なんだ隣のあれ?
あれってもしかして・・・9年前は気づかなかったけど・・・
造船所?
だよねぇ・・・
作中のものとは関係がないのかもしれません。
そういう造船所が昔はたくさん並んでいたのかも。
それでも「あ、揃った!!」という喜びに、ひとりで笑いが止まらなくなってしまったのでした。
なんて気持ちの悪い奴(笑)
でも、きっと地元のタイ人でも年寄りじゃなきゃ見えていない景色なんじゃないかと思うと、頭ん中は幸福物質でいっぱいにな
っちゃいますね。
そういえばタイに日本軍が進駐したときに戦闘はなかったんだと思っていたんですが、先日のプラチュアップ・キーリーカンでは日本の上陸部隊と海辺のタイ空軍基地守備隊との間で一昼夜半に渡って激闘があったんだそうです。
上陸直前にタイ政府から日本軍のタイ国内通過許可を受けたはずが、地方の守備隊に中央からの連絡が遅れたんだそうで、しかもプラチュアップ・キーリーカンの場合は無線機の故障で指令そのものが届かなかった。
その軍隊らしからぬいい加減さを責めるのは簡単ですが、そもそも通過許可というのも言葉の綾で、実態はタイの主権を認める形での侵略ですから・・・
そんな話は、実際にあの海辺に立つまで知りませんでした。
さて「メナムの残照」では終戦とともに日本軍が去り、ヒロインは自らの立つべき場所と進むべき道を確認するかたちで幕を迎えます。
それもまたベタな結末ですが、そのヒロインの心情に私たちには感じられないリアリティを認めて熱中できるのがタイ人です。
造船所やミカン畑が見えても、そういう部分は異国の旅行者である私にとって、見ようにもなかなか見えそうにありませんね。
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関係ない画像ですが、あのマークはもしかして・・なんで? |
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また取り留めもなく・・・
では、日本帰国まで、あと48日!!
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