ミャンマーは乾燥しています。 勝手なイメージながら南国だと思っていたんで、こんなに雨の降らない乾燥したところだとは思いませんでした。 たしかに椰子の木は生えてます。 バナナも生えてますね。 でも、それは人が住んでいるところだけの話で、無人の高原地帯なんかに椰子やバナナは生えてません。 人が植えた有用植物なんですね。 だから高いところから見下ろしたとき、人の住んでいるあたりは緑が濃くて背の高い樹がたくさん見えるので、それとわかります。
マンダレー・メイッティナー間の荒野 |
マンダレー・メイッティナー間の農村 |
ちなみにマンダレーだと王宮北部とマンダレー・ヒルという丘の間あたりに苗木屋が集中している場所があります。 いろんな樹の苗を育てて、1mくらいの高さになったものを根に土を付けたままで売っています。 こういうとこではものすごい数の苗が並んでいて、お客はその中から気に入った苗を選んで購入して持ち帰るのは、日本のホームセンターの苗木コーナーとさして変わりません。 ただ、苗木を買って帰る人の姿が日本の街角でそんなに見ないのではないでしょうか。 日本は庭が狭いから、あまり大きな苗木が頻繁に売れず、大きな苗木を扱う場合は植木屋に頼むからでしょう。 こちらはというと、ごく普通の人が車で乗り付けてきて買い込んだり、買った苗を乗り合いトラックの荷台に乗せてもらったりして帰っていく人の姿を目にします。 また、幹線道路の中央分離帯に植えた若木にタンク車で水をあげている業者も、しばしば目にしました。 たぶんだけど、こちらの庭木いじりというもの、あるいは造園業というものは、植えた木を丹精して育てるとかいうのではなくて、まずはとにかく樹を植えて水をやって日陰をつくるための樹木を根付かせる、そういうものなのではないでしょうか。 根付きさえすれば、あとは樹の望むまま、繁るまま。 朝方、植えられて間もない若木に水をやっている人たちの姿を見ると、そんな感じがします。 話が逸れました。 水の話。 ミャンマーでは街角でよく水瓶を見ます。 家々の道路前、寺院の一角、交差点、大きな樹の根本。 そんなところに水を張った瓶が置かれていて、その口にはゴミが入ったり水が蒸発するのを防ぐ蓋がされています。 また、その蓋の上には、往々にしてコップなどが置かれています。
これは道行く人たちが自由に使える昔ながらの水の習慣で、私も街を歩きながらしょっちゅうお世話になっています。 |
お味の方は・・・う~ん、東京の水道って美味しいんですねぇ。 ただ、こういう水分補給源が都会でも田舎でも行き渡っていることで、熱射病が防がれているんでしょうね。
木の下には必ず水瓶が |
ところで、いま私が滞在しているホテルはマンダレー市街西側のエインドーヤー・パヤーという大きな寺の参道にあります。 パヤーの入り口まで徒歩1分。 で、中に入っていくと参拝客のための給水所があって、ぬるいけれどおいしい水がタダで飲めるようになっています。 よく見ると濾過装置が繋がっているんで、これが効いているんでしょう。 ちなみにホテルの水道は超不味い。 こうした理由で私は朝夕の二回、お寺へ参拝に出かけます。 空のペットボトルを持って。 参道に暮らす人たちは、なんて敬虔な外人だろうと思っているかもしれません(ばれてるかな?)が、ありがた~いお水を頂戴に行ってるだけ。 それでも地元の主婦が空のペットボトルを二本ほど持って水汲みに来ているのに行き合ったこともありますから、考えることは皆同じなのかもしれません。
ニューバガンの南の町外れにある菩提樹の大木 |
その足元にも水瓶が |
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