2015-08-21

思いでの宿・シャンカライホステル(ヤンゴン)

90日間、ドミトリーを中心にけっこうな数の宿に泊まりました
ものすごい汚い強制収容所みたいなところから、野趣溢れるというか溢れすぎの宿、宿のせいじゃないけど隣の鼾がひどかったところ、エアコンが壊れていたところ、南京虫のいたところ、英語のまったく通じなかったところ・・・
思いではそれぞれです。

その中で一番の思いではヤンゴンのシャンカライ・ホステルでしょうか。
初日だったから印象深かったということはあります。
ヤンゴン市内は家賃高騰のため、ドミトリーの中がじゃっかん窮屈だったというマイナス点もあります。
でも、この宿のオーナーの人柄が私の旅の1ページ目を楽しいものにしてくれました。
オーナーのミンさんは、2011年まで6年にわたって日本に在住していた方です。
高田馬場にミャンマー人のコミュニティがあると聞いていましたが、まさにそこに住んで、新宿で仕事をしてたそうです。
たしか食堂だったかな?
そこが一年363日勤務。
友人たちが気でもおかしくなったのかと心配し、そんなに働いて何になると非難されるほど働いたそうです。
多少の労働環境の過酷さには驚けない私ですが、たしかにちょっとそれは・・・ね?
そもそも、そんなに働かされて日本を嫌いにならなったんでしょうか?
不思議な人です。
震災の起きる2ヶ月前にミャンマーに帰国し、様々な経緯を経て2015年の2月にゲストハウスを始めたそうで、つまり私が泊まった5月末は立ち上げ間もない時期だったんですね。
設備も新しくて綺麗だったし、なによりミンさんがやる気と意欲に燃えていました。
「金稼ぐぞー」みたいなギラギラした感じじゃない、静かな意欲。
彼は日本で学んだお客へのホスピタリティを、自分の国で通用させたいんだそうです。
どこの国から来る客にも喜んでもらえる接客基準を作りたいと。
まぁ、日本人として悪い気はしない(笑)
ただ、目下の悩みは他のスタッフが、その理想をなかなか共有するに至らないことだそうです。
先覚者の孤独な悩みですね(笑)
ミンさん

2011年というと、ミャンマーでは3月に軍事政権から民政移管が行われています。
たぶんミンさんが帰国を決めただろう前年には、11月に新憲法下での総選挙が行われ、アウン・サン・スーチーの軟禁も解かれています。
ミンさんの政治的な立場がどのようなものなのかは知りませんし、尋ねもしませんでしたが、民主化とともにいち早く帰国したことを考えれば、なんとなくは判ります。
そして、その日のために遮二無二働いてきたのだと思えば、なかなか骨のある大した男だと。
ただ、本人はまったく我の強さをみせない穏やかな物腰の人です。

シャンカライ・ホステルは、べつに日本人宿というわけではありません。
ミンさんも世界中のお客に来てほしいと言っているし、実際に多くが欧米人のゲストでした。
ただ、オーナーが日本語を喋れますし、なによりお客に喜んで貰いたいと一生懸命に頑張っている。
ある意味、変わったミャンマー人ですが、一生懸命に喜んでもらおうと接せられると、不思議にこちらも一生懸命に喜んでしまいます。
今日は何番街からどこそこまで20キロ歩いてきた、どこそこの街角が興味深かったとか、そんな他愛のない話をカウンターで報告すると、いろんな解説が彼から帰ってきます。
ずいぶんと楽しませてもらいました。

最後にシャンカライ・ホステルという名前の由来。
はじめはミンさんがシャン族の血でも引いているのかと思ったんですが、それは違いました。
幼い頃にシャン族が多く住むシャン州に住んでいたんだそうです。
その後、すこし大きくなってヤンゴンに出てきた時、親や親戚からつけられた渾名が「シャンカライ」
「シャンから来たおちびさん」というようなニュアンスの言葉だそうです。

日本で得たものをミャンマーで生かそうとしてくれている人、というだけで応援したくなるのは短絡的な話ですが(そういう人は、たぶんたくさん居る)、それでもあのゲストハウスが長く続いて、数多くの旅人たちを受け入れ、送り出し続けてくれることを祈っています。

そういえば肝心なこと。
お値段はドミトリー朝食付で8ドルでした。

ShannKalay Hostel (シャンカライホステル)
shannkalayhostel@gmail.com

No 166/168 ,3rd Floor, 49th Street Between Bogyoke Aung San & Anawratha Road , Pazundaung Township , Yangon., 


シャンシャンカライ ホステル (Shannkalaイ ホスost

シャンカライ ホステル (Shannkalay Hostel)

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