昨日は最後の贅沢にハロン湾まで行ってきました。
良かったけど、ハノイからちょっと遠い・・・
朝の8:30にピックアップされて、帰りは21:00でしたから。
行き帰りと小型バスに揺られて、片道4時間弱。
行きがけに幹線道路脇に並んだ「Nha Nghi」という看板の建物について、同行したナベさんから教えてもらいました。
その多くがラブホだそうです。
帰ってネットで調べたら、けっこういろんなとこのブログに載ってました。
興味のある方は御検索あれ。
皆さん、ベトナムにもラブホがあるって感動?するんでしょうね(笑)
Nha(家・館) Nghi(休憩)の意で、ニャーギーと読むそうです。
ただ、すべてがラブホなわけじゃなくて、眺めているとカラオケがメインだったり、日本でいう民宿旅館だったりと業態は様々。
歌舞伎町や円山町のイメージそのものではありません。
それでも女の子を後ろに乗せたバイクが吸い込まれていくのを、日が落ちた帰途の街道で見かけました。
思わず心の中でガンバレー!!
え? カラオケなんでしょ?
バックパッカーの中には、これを穴場の宿として渡り歩く人もいるそうで・・・
値段の割に当たり外れの大きい外国人向けホテルより、こちらの方が品質が一定して良いんだそうです。
しかし・・・隣の部屋とかで始まっちゃったら辛くない?
ヤられたらヤり返す?
独りでか?
私はもう、オールドクォーターの南京虫宿で最後の夜を過ごし、いまは出国を待つばかりですんで、今回はNha Nghiのお世話になれません。
次回は、ぜひいちど宿泊してみたいものです。
もちろん休憩も(笑)
いつかは、ニャーギーにようこそ!
2015-08-21
世界の果てでも逃げられない
今日はハロン湾に行ってきました。
夏休みらしく日本人の学生さんと同じ船になったんだけたど、その学生さんが私の元嫁の授業は受けてないけど名前は知ってるという、元嫁が教鞭を執ってる大学の人でした。
俺はベトナムまで来て逃げられないのか?
この呪縛!!
日本帰国まで、あと2日!!
夏休みらしく日本人の学生さんと同じ船になったんだけたど、その学生さんが私の元嫁の授業は受けてないけど名前は知ってるという、元嫁が教鞭を執ってる大学の人でした。
俺はベトナムまで来て逃げられないのか?
この呪縛!!
日本帰国まで、あと2日!!
2015-08-20
お仕事(エロゲー)
お仕事
あと二日で帰国。
仕事を考えねば・・・
なにがやれるのと尋ねられて、何でもやりますとしか答えられない典型的なダメ職歴の人なので、ログアウト先の現実世界の方がお先真っ暗な状況です。
困ったねぇ。
先日ブログに書いていたエロゲー仕事は、08年秋から12年末くらいまでやっていました。
なんでそんなことを書くのかというと、ずっとその道一筋の人と思われるのは困るからです(笑)
その前の3年ほどは、とある外資の信託銀行や、とある財界系のシンクタンクのシステム部で派遣やってました。
昼間はオフィスでスーツ姿、夜はデパートで装飾施工、金曜は徹夜の建築現場という馬車馬の如き働きっぷりでした。
馬車馬だって、あんなに働かないんじゃねーの?
ダラットで観光用の馬車を見ましたが、ほとんど働いていなかったからね。
で、08年に嫁さんが鬱病をこじらせて登校拒否になり、一週間も家から出ずに布団にくるまっているようになり、挙げ句の果てに掃除機のホースで自分の首を絞めながら叫び出したり、夜中の多摩川に飛び込んだりするようになって、さすがの私もこれをエキセントリックで刺激的とか、ネタになる美味しいエピソードとかって受け取るにはいささか器量が足らないだろうってことに気づかされ、昔の伝手を頼って自宅で出来る仕事、すなわちエロゲー開発の下請けを始めた訳です。
なにより帰宅したら嫁さんが冷たくなっていた、という想像がいちばん怖かったんですね。
12年の末くらいまで続けましたが、11年の震災後はほとんんど開店休業状態で、実質的には08年秋からの2年半が私のエロゲー時代です(笑)
エロも含めてゲームなんかしないのに。
元同僚のHさんから旧作のスクリプトを貰って、ざっと眺めて覚えました。
プログラムの才能は皆無なので、ゲームシステムに手を入れることは出来ませんが。
スクリプターにもいろんなタイプの人がいて、システムでザインまでこなすプログラマー寄りの人、シナリオ出身で自分の書いたものを動かすようになった人、大きな会社に入って分業体制の中でスクリプトに特化した人なんかです。
私が世話になったところはメンバーが3~4人の企業同人だったので、スクリプトを打ちながら多少はシナリオもやり、音声・効果音から足りないグラフィックのでっちあげまで、それこそなんでもやりました。
結局は「なんでも屋」です。
システムに関わらない以上はキャラを動かすことに専念できるので、ちょっと異常なくらいにコマンドを入れました。
ほとんどセリフごとに表情かポーズをチェンジさせてましたから、デバッグは大変だったと思います。
でも、技術があるわけじゃないから手数で勝負(笑)
そうじゃなくても動かない電脳桃色紙芝居なんだから、ヒロインくらいは感情表現豊かでないとね。
2年半で17作くらい(訂正20作)作ったと思います。
3ヶ月で2作ペースでしたが、正直な話がよく覚えていない(笑)
私が携わったのはエロゲーの中でも、いわゆる「抜きゲー」と呼ばれるジャンルで、安くてボリュームが小さくてという粗製濫造作品の密集地帯でした。
ほとんどキャラクターの個性が表現される間もなく、いきなりエッチに入ります。
長い前振りは必要ない。
エッチシーンの比率はシナリオの8~9割。
いきおい、あのマンガのあのヒロインとか、あのアニメのあの女の子とかっていうイメージをもろに引っ張ったキャラが続出します。
パクリ?
買う人にとってはそうかもしれませんが、制作側には別の理由もあります。
他作品のイメージを引っ張ったキャラや、ステレオタイプに固定された人物像を引っ張って来ることにより、そのキャラの個性を作中で説明する手間が省け、その分作業量や予算が減らせ、その分をエッチシーンに回せる・・・
要はキャラの書き込みを他作品(とユーザーの脳内ストック)に委ねないと、三月に二作は回らない。
スクリプトはシナリオや絵・音楽・ボイスなどの素材が集まってからの下流工程で、上流の進捗状況に仕事が左右されます。
それが辛くて上流工程のシナリオ作業にも手を出したのですが、ただ単に上流から下流まで忙しくなっただけでした。
シナリオを少しやって自分で気づいたのは、自分の性的な倫理ハードルが想像以上に高かったこと・・・
思ったほど自分は変態じゃないんだ・・・と思い知らされる? ことに。
レイプシーンとか書けませんよ。
だいたいAプレイとかですら、プライベートでやらないことは書けない。
なんででしょう?
やったことがないから?
殺人シーンなら心理的なハードルをあまり感じずに書けるのに。
ま、才能がないってことですね藁
あと・・・
いやいや、果てしないからやめときましょう。
でも、ゲームをプレイするのはしんどいから嫌いだけど、頭をひねって作るのはけっこう楽しかったです。
今日はこれからハロン湾の観光に行ってきます。
ではでは。
あと二日で帰国。
仕事を考えねば・・・
なにがやれるのと尋ねられて、何でもやりますとしか答えられない典型的なダメ職歴の人なので、ログアウト先の現実世界の方がお先真っ暗な状況です。
困ったねぇ。
先日ブログに書いていたエロゲー仕事は、08年秋から12年末くらいまでやっていました。
なんでそんなことを書くのかというと、ずっとその道一筋の人と思われるのは困るからです(笑)
その前の3年ほどは、とある外資の信託銀行や、とある財界系のシンクタンクのシステム部で派遣やってました。
昼間はオフィスでスーツ姿、夜はデパートで装飾施工、金曜は徹夜の建築現場という馬車馬の如き働きっぷりでした。
馬車馬だって、あんなに働かないんじゃねーの?
ダラットで観光用の馬車を見ましたが、ほとんど働いていなかったからね。
で、08年に嫁さんが鬱病をこじらせて登校拒否になり、一週間も家から出ずに布団にくるまっているようになり、挙げ句の果てに掃除機のホースで自分の首を絞めながら叫び出したり、夜中の多摩川に飛び込んだりするようになって、さすがの私もこれをエキセントリックで刺激的とか、ネタになる美味しいエピソードとかって受け取るにはいささか器量が足らないだろうってことに気づかされ、昔の伝手を頼って自宅で出来る仕事、すなわちエロゲー開発の下請けを始めた訳です。
なにより帰宅したら嫁さんが冷たくなっていた、という想像がいちばん怖かったんですね。
12年の末くらいまで続けましたが、11年の震災後はほとんんど開店休業状態で、実質的には08年秋からの2年半が私のエロゲー時代です(笑)
エロも含めてゲームなんかしないのに。
元同僚のHさんから旧作のスクリプトを貰って、ざっと眺めて覚えました。
プログラムの才能は皆無なので、ゲームシステムに手を入れることは出来ませんが。
スクリプターにもいろんなタイプの人がいて、システムでザインまでこなすプログラマー寄りの人、シナリオ出身で自分の書いたものを動かすようになった人、大きな会社に入って分業体制の中でスクリプトに特化した人なんかです。
私が世話になったところはメンバーが3~4人の企業同人だったので、スクリプトを打ちながら多少はシナリオもやり、音声・効果音から足りないグラフィックのでっちあげまで、それこそなんでもやりました。
結局は「なんでも屋」です。
システムに関わらない以上はキャラを動かすことに専念できるので、ちょっと異常なくらいにコマンドを入れました。
ほとんどセリフごとに表情かポーズをチェンジさせてましたから、デバッグは大変だったと思います。
でも、技術があるわけじゃないから手数で勝負(笑)
そうじゃなくても動かない電脳桃色紙芝居なんだから、ヒロインくらいは感情表現豊かでないとね。
2年半で17作くらい(訂正20作)作ったと思います。
3ヶ月で2作ペースでしたが、正直な話がよく覚えていない(笑)
私が携わったのはエロゲーの中でも、いわゆる「抜きゲー」と呼ばれるジャンルで、安くてボリュームが小さくてという粗製濫造作品の密集地帯でした。
ほとんどキャラクターの個性が表現される間もなく、いきなりエッチに入ります。
長い前振りは必要ない。
エッチシーンの比率はシナリオの8~9割。
いきおい、あのマンガのあのヒロインとか、あのアニメのあの女の子とかっていうイメージをもろに引っ張ったキャラが続出します。
パクリ?
買う人にとってはそうかもしれませんが、制作側には別の理由もあります。
他作品のイメージを引っ張ったキャラや、ステレオタイプに固定された人物像を引っ張って来ることにより、そのキャラの個性を作中で説明する手間が省け、その分作業量や予算が減らせ、その分をエッチシーンに回せる・・・
要はキャラの書き込みを他作品(とユーザーの脳内ストック)に委ねないと、三月に二作は回らない。
スクリプトはシナリオや絵・音楽・ボイスなどの素材が集まってからの下流工程で、上流の進捗状況に仕事が左右されます。
それが辛くて上流工程のシナリオ作業にも手を出したのですが、ただ単に上流から下流まで忙しくなっただけでした。
シナリオを少しやって自分で気づいたのは、自分の性的な倫理ハードルが想像以上に高かったこと・・・
思ったほど自分は変態じゃないんだ・・・と思い知らされる? ことに。
レイプシーンとか書けませんよ。
だいたいAプレイとかですら、プライベートでやらないことは書けない。
なんででしょう?
やったことがないから?
殺人シーンなら心理的なハードルをあまり感じずに書けるのに。
ま、才能がないってことですね藁
あと・・・
いやいや、果てしないからやめときましょう。
でも、ゲームをプレイするのはしんどいから嫌いだけど、頭をひねって作るのはけっこう楽しかったです。
今日はこれからハロン湾の観光に行ってきます。
ではでは。
2015-08-19
ハノイ二日目
ハノイ二日目。
なんか画像がまたアップできないのは何故?
今日は朝から線路を越えて世界遺産のタンロン遺跡まで出張りました。
8時半オープンなんだけど、8時25分には入ってました。
でも・・・誰もいない。
というより、なにこれ? 世界遺産?
2010年に登録されたそうですが、やはり最近になって登録された世界遺産は信用ならん!
お昼からは一足先にハノイ入りしていたナベさんとお食事、というか昼間からビール。
今回は偶然ではなく、このあとミャンマーに向かうことにしたナベさんに、ミャンマーのガイドブックを手渡すために待ち合わせたのでした。
旅行中に三回も顔を合わせたのは彼だけですね(笑)
彼はハノイで就職先の物色中。
やはり私と同じくハノイが気に入ったそうです。
旧市街を一緒に歩きながら、角を曲がる度にふたりで喜んでました。
曲がっても曲がっても、面白い商店街がある。
飽きない。
夕方からはひとりで街を歩き、疲れると歩道に張り出したカフェで道行く人々や混沌の坩堝と化している交差点のバイクを眺め続けます。
まったく本なんて読めません。
景色が面白くて。
この街でなら就職してもいいな。
確かにそんなことも感じますが、やはりというかなんというか、忘れてましたが最終目的地はハノイではなく、ウツノミヤでしたね。
ハノイで春巻き喰って、次はウツノミヤで餃子!!
夜、民族芸能のカー・チューという、なんでしょう、歌と踊りと音楽の夕べみたいなのを観に行ってきました。
けっこう伝統芸能って苦手なんですが、苦手なだけにできるだけ観るようにしているのです。
これでも学部の頃は、週に二日は歌舞伎研究会の部室でゴロゴロして、月に一度の観劇会で歌舞伎座に足を運んでたものです。
部員でもないくせに(笑)
卒論も能が絡んでいたし・・・あ、思い出したくない。
で、そのカー・チューですが、やっぱ私にはよく判りません(笑)
芸術は私の守備範囲外だと、また更に再確認をしたと。
ただ、バイクの渦の中を一日歩いた後で、そういう古風な調べに耳を傾けるということは、気持ちの上では心地よいことでした。
だったら新内節とかでも良かったんじゃね?
とまぁ、そう言われたらそうだねって言えちゃうところが、私のダメなところです。
明日も一日、ハノイの街に挑みます。
日本帰国まで、あと4日!!
なんか画像がまたアップできないのは何故?
今日は朝から線路を越えて世界遺産のタンロン遺跡まで出張りました。
8時半オープンなんだけど、8時25分には入ってました。
でも・・・誰もいない。
というより、なにこれ? 世界遺産?
2010年に登録されたそうですが、やはり最近になって登録された世界遺産は信用ならん!
お昼からは一足先にハノイ入りしていたナベさんとお食事、というか昼間からビール。
今回は偶然ではなく、このあとミャンマーに向かうことにしたナベさんに、ミャンマーのガイドブックを手渡すために待ち合わせたのでした。
旅行中に三回も顔を合わせたのは彼だけですね(笑)
彼はハノイで就職先の物色中。
やはり私と同じくハノイが気に入ったそうです。
旧市街を一緒に歩きながら、角を曲がる度にふたりで喜んでました。
曲がっても曲がっても、面白い商店街がある。
飽きない。
夕方からはひとりで街を歩き、疲れると歩道に張り出したカフェで道行く人々や混沌の坩堝と化している交差点のバイクを眺め続けます。
まったく本なんて読めません。
景色が面白くて。
この街でなら就職してもいいな。
確かにそんなことも感じますが、やはりというかなんというか、忘れてましたが最終目的地はハノイではなく、ウツノミヤでしたね。
ハノイで春巻き喰って、次はウツノミヤで餃子!!
夜、民族芸能のカー・チューという、なんでしょう、歌と踊りと音楽の夕べみたいなのを観に行ってきました。
けっこう伝統芸能って苦手なんですが、苦手なだけにできるだけ観るようにしているのです。
これでも学部の頃は、週に二日は歌舞伎研究会の部室でゴロゴロして、月に一度の観劇会で歌舞伎座に足を運んでたものです。
部員でもないくせに(笑)
卒論も能が絡んでいたし・・・あ、思い出したくない。
で、そのカー・チューですが、やっぱ私にはよく判りません(笑)
芸術は私の守備範囲外だと、また更に再確認をしたと。
ただ、バイクの渦の中を一日歩いた後で、そういう古風な調べに耳を傾けるということは、気持ちの上では心地よいことでした。
だったら新内節とかでも良かったんじゃね?
とまぁ、そう言われたらそうだねって言えちゃうところが、私のダメなところです。
明日も一日、ハノイの街に挑みます。
日本帰国まで、あと4日!!
2015-08-18
最終目的地、ハノイ
ついに最終目的地、ハノイに入りました。
苦節(つーほどのこともないが)85日。
あとは約束の日が訪れて、ゲートが開くのを待つばかりです。
ラスボスを倒すとかのフラグ立てが必要かも知れませんが・・・
本日の移動は13:14ニンビン発のSE8。
定刻から15分遅れで、16時ちょうどにハノイ着。
ずいぶんとここまで歩いたものです。
総移動距離は計算してないんで判りませんが、スマホの万歩計による歩行距離は810キロを指しています。
85日で810キロだから、一日10キロ弱か。
日本から履いてきた10年選手のサンダルは、ミャンマーのマンダレーでお亡くなりになり、いま履いているのはマンダレーで買ったタイ製の安物です。
製造元のタイまで保てばいいんじゃないと思っていたのですが、とうとうラスボス戦まで使用されることに。
さすがに爪先のあたりでゴムの張り合わせが剥がれてきて、パカパカしだしてきました。
どうしたもんかと思いながら、今日の昼にニンビン駅前の数えるほどしかない茶屋でコーラを飲みながらサンダルを見つめていると、店のおばちゃんがなんだかのチューブを渡してくれました。
なにこれ?
ちょうど虫に刺された脹ら脛を掻いていたところだったんで、中から出てきた白いクリーム状のものを肌に近づけたら、すごい勢いで止められました。
他の客がそれを見て爆笑している。
なに? サンダルに塗れ?
あぁ・・・ボンド? なのね?
こういう小さい親切に甘えさせて貰う場面が、どうも北上してきてから多いような気がします。
ベトナムは南部の方がおおらかで、北部の人は冷たいというような話をよく聞きましたが、よくわからない。
こちらがベトナムになれてきた分、それが鏡のように相手に反映されて親切を受けているのかもしれません。
南部に入った頃は、あまり気持ちに余裕がなかったですから。
そういう余裕のない外国人に対しては、向こうも親切心を持ちづらい。
ハノイは想像していたよりも賑やかで街路樹の濃い、歩いていて楽しい町でした。
といっても、今日はオールド・クォーターとも呼ばれる旧市街しか歩いていません。
宿は旧市街の西寄りです。
ものすごい数の人とバイクの渦ですが、頭上を覆う木立の葉の厚みのせいで街路に落ち着きがあり、街路ごとに商店が扱う品物の違いがあって歩くのが楽しいです。
ここまで楽しいのは、ヤンゴン以来かな。
とりあえず今日は宿の周辺を探索し、最終日に空港へ向かうための路線バス乗り場を確かめに旧市街の外れまで足を延ばすだけに留めました。
いつも、まず最初は脱出経路の確認です(笑)
夜、近所のローカルな飯屋で夕飯。
外国人向けの店ではないにも関わらず、意外と高かった。
その後、外人客向けのバーでビールをジョッキ一杯だけ。
目的地到着のひとり祝いです。
ビールを飲んでいたら、サンダルを直しましょうと靴直しが寄ってきました。
バー中の客に声をかけています。
が、誰も取り合わない。
そりゃ直すくらいなら、新しいのを買うわな。
この85日間で、流しの靴直しは初めて会いました。
しかも別々に二人。
しかも私がサンダルを直した、その日に。
最後の町に辿りついて昂揚していた気分が、すこし冷めた瞬間です。
関係ないけど、俺も仕事どーしよーかなー。
明日はハノイをもう少し、いやけっこう? できればガッツリ歩いてみようかな。
日本帰国まで、あと5日!!
苦節(つーほどのこともないが)85日。
あとは約束の日が訪れて、ゲートが開くのを待つばかりです。
ラスボスを倒すとかのフラグ立てが必要かも知れませんが・・・
本日の移動は13:14ニンビン発のSE8。
定刻から15分遅れで、16時ちょうどにハノイ着。
ずいぶんとここまで歩いたものです。
総移動距離は計算してないんで判りませんが、スマホの万歩計による歩行距離は810キロを指しています。
85日で810キロだから、一日10キロ弱か。
日本から履いてきた10年選手のサンダルは、ミャンマーのマンダレーでお亡くなりになり、いま履いているのはマンダレーで買ったタイ製の安物です。
製造元のタイまで保てばいいんじゃないと思っていたのですが、とうとうラスボス戦まで使用されることに。
さすがに爪先のあたりでゴムの張り合わせが剥がれてきて、パカパカしだしてきました。
どうしたもんかと思いながら、今日の昼にニンビン駅前の数えるほどしかない茶屋でコーラを飲みながらサンダルを見つめていると、店のおばちゃんがなんだかのチューブを渡してくれました。
なにこれ?
ちょうど虫に刺された脹ら脛を掻いていたところだったんで、中から出てきた白いクリーム状のものを肌に近づけたら、すごい勢いで止められました。
他の客がそれを見て爆笑している。
なに? サンダルに塗れ?
あぁ・・・ボンド? なのね?
こういう小さい親切に甘えさせて貰う場面が、どうも北上してきてから多いような気がします。
ベトナムは南部の方がおおらかで、北部の人は冷たいというような話をよく聞きましたが、よくわからない。
こちらがベトナムになれてきた分、それが鏡のように相手に反映されて親切を受けているのかもしれません。
南部に入った頃は、あまり気持ちに余裕がなかったですから。
そういう余裕のない外国人に対しては、向こうも親切心を持ちづらい。
ハノイは想像していたよりも賑やかで街路樹の濃い、歩いていて楽しい町でした。
といっても、今日はオールド・クォーターとも呼ばれる旧市街しか歩いていません。
宿は旧市街の西寄りです。
ものすごい数の人とバイクの渦ですが、頭上を覆う木立の葉の厚みのせいで街路に落ち着きがあり、街路ごとに商店が扱う品物の違いがあって歩くのが楽しいです。
ここまで楽しいのは、ヤンゴン以来かな。
とりあえず今日は宿の周辺を探索し、最終日に空港へ向かうための路線バス乗り場を確かめに旧市街の外れまで足を延ばすだけに留めました。
いつも、まず最初は脱出経路の確認です(笑)
夜、近所のローカルな飯屋で夕飯。
外国人向けの店ではないにも関わらず、意外と高かった。
その後、外人客向けのバーでビールをジョッキ一杯だけ。
目的地到着のひとり祝いです。
ビールを飲んでいたら、サンダルを直しましょうと靴直しが寄ってきました。
バー中の客に声をかけています。
が、誰も取り合わない。
そりゃ直すくらいなら、新しいのを買うわな。
この85日間で、流しの靴直しは初めて会いました。
しかも別々に二人。
しかも私がサンダルを直した、その日に。
最後の町に辿りついて昂揚していた気分が、すこし冷めた瞬間です。
関係ないけど、俺も仕事どーしよーかなー。
明日はハノイをもう少し、いやけっこう? できればガッツリ歩いてみようかな。
日本帰国まで、あと5日!!
2015-08-16
ニンビン
昨日からニンビンに来ています。
終着点ハノイまで、あと110キロ。
まぁ、あの星とその星が双子の二連星だと判明したあたりです。
旅も大詰めですね。
ヴィンからニンビンへも鉄道を利用しました。
朝9:26発のSE8、ソフトシートで14万9千ドン。
10分ぐらいの遅延しか無かったと思います。
途中の景色は、それまでとは違ってあまり面白くありません。
平野部に入るからです。
ニンビンの駅ですが、『地球の歩き方』2014~15版の地図から南に1キロほどの場所に移転になっています。
新駅前はホテルが1軒と飯屋が数軒あるだけの新開地です。
Maps Meには反映されていますが、今日現在のGoogle Mapには未反映。
後続の方々、ご注意あれ。
さて、この街自体にも何もありません。
夜になると19時でも表通り以外は真っ暗です。
街灯は点いていたり、点いていなかったり。
でも、わりと人は歩いているというか、家の前で夕涼みしているので、歩いていて安心です。
が、夜中に歩いて行くべき場所もない。
が、昨夜の1時過ぎにエアコンの電気系統が故障したとかで、ホテルのエアコンが使えないんですよね・・・
扇風機と電灯は大丈夫だから安心してくれと言われたけど・・・ねぇ。
もう、窓も扉も全開で寝ています。
誰かに襲われたら?
エアコン壊れてるのに汗かきたい強盗なんていねーよ(笑)
もし居たら、そのときは・・・・一緒にベッドで組んず解れつ格闘ですね(笑)
そんで、一緒にシャワー浴びて抱き合って眠るのさ。
夜明けのコーヒーは朝飯前で(意味不明)ヨロシク!!
暑くて脳味噌溶けそう。
今日はニンビンの墨絵の世界へボートツアーに行ってきました。
もう出国が近いので、ややお高い遊びもこの際は可。
チャンアンとバイディン寺と、もうひとつなんだったか思い出せない寺。
朝8時に宿を出て17時に戻るまで、例によってバイクの後ろにまたがり、山の下で下ろされて登ってこいと言われ、川岸に連れて行かれてボートを漕いでこいと言われ。
18ドルのツアー代金を払って、体力を思うさま浪費してきました。
しかもボート代とか拝観料とかは別払いですから・・・
バイディン寺、でかかったです。
御本尊ですが、こんな感じ。
LEDで光ってるようにも見えますが、これは下からライトアップしているものが光背に載った諸々の仏に反射しているだけです。
実はフエを出てから神仏の電飾関係に変化がありまして、南部や中部に比べてグッと大人しくなっているんです。
家々の入り口にある祠も最低限の電飾しかないし、その祠自体がない家も多い。
仏さんがグリコの電飾看板状態というのが、この辺ではありえないのかも。
ともかくあとはチャンアン。
こんな感じの川をボートで上下します。
しかも三時間掛けて。
独りだと他のグループ客に居候させてもらう感じで、ちょっと肩身が狭い。
私が乗った船は他がベトナム人家族の五人で、私の前に小学5年生くらいのガキンチョが座りました。
ボート自体は漕ぎ手のおばさんが居るのですが、各船には3~4本のパドルがある。
で、このガキンチョが私にも漕げと五月蠅いことこの上なし(笑)
彼はパドルで漕いでると言うよりはバチャバチャ水を撥ね散らかしているだけで、それがもろに後ろの私に掛かるし、ピッチが一定しないのでこちらのパドルが息を合わせられずにガンガンぶつかる。
なぜ漕がないのかと私の判らん言葉で文句を言う彼に、私も彼の判らん言葉で「ガキが命令してんじゃねーよ」「お前が止めたら俺が漕いでやる」
と言い返す。
私は大人ですから。
大人ですから、私の方が彼と同じガキンチョレベルへと、わざわざ足を運んであげてコミュニケーションをとらなきゃいけません、よね?
こうして彼が漕いでいる間は私がサボり、彼が疲れると私が漕ぐという麗しい分業体制が出来上がって、通常の3倍のスピードとはいかないまでも1.03倍くらいのスピードで船は進みます。
ところへ彼ら家族の仲間の船が二隻急接近してきて、事態はドラゴンボートレース状態に。
はじめはアホらしさのあまり、ガキンチョの「外国人、お前も漕げ」コールにソッポを向いていた私でしたが、敵船の客たちの満面の笑みを見るにつけても腹が立ち、最後はパドルを握って俄然奮闘。
最終的には我が船の勝利に終わることを得ました。
これ、なんのため?
15万ドンも払って景色をゆっくり見ようと思っていたのに、汗だくになってボート漕ぎ。
最後に岸へ上がったとき、件のガキンチョが私を振り返って「サンキュー」と言ったので、しかたがない「グッジョブ」と返しておきました。
おじさん疲れました。
疲れたので、今日は寝ます。
でも、ニンビンの観光は良かったですよ。
手頃な料金で日本にはない風景を堪能できました。
明日はいよいよ終着点、ハノイ。
就職機会をタダでくれるという・・・もういいか。
日本帰国まで、あと6日!!
終着点ハノイまで、あと110キロ。
まぁ、あの星とその星が双子の二連星だと判明したあたりです。
旅も大詰めですね。
ヴィンからニンビンへも鉄道を利用しました。
朝9:26発のSE8、ソフトシートで14万9千ドン。
10分ぐらいの遅延しか無かったと思います。
途中の景色は、それまでとは違ってあまり面白くありません。
平野部に入るからです。
ニンビンの駅ですが、『地球の歩き方』2014~15版の地図から南に1キロほどの場所に移転になっています。
新駅前はホテルが1軒と飯屋が数軒あるだけの新開地です。
Maps Meには反映されていますが、今日現在のGoogle Mapには未反映。
後続の方々、ご注意あれ。
さて、この街自体にも何もありません。
夜になると19時でも表通り以外は真っ暗です。
街灯は点いていたり、点いていなかったり。
でも、わりと人は歩いているというか、家の前で夕涼みしているので、歩いていて安心です。
が、夜中に歩いて行くべき場所もない。
が、昨夜の1時過ぎにエアコンの電気系統が故障したとかで、ホテルのエアコンが使えないんですよね・・・
扇風機と電灯は大丈夫だから安心してくれと言われたけど・・・ねぇ。
もう、窓も扉も全開で寝ています。
誰かに襲われたら?
エアコン壊れてるのに汗かきたい強盗なんていねーよ(笑)
もし居たら、そのときは・・・・一緒にベッドで組んず解れつ格闘ですね(笑)
そんで、一緒にシャワー浴びて抱き合って眠るのさ。
夜明けのコーヒーは朝飯前で(意味不明)ヨロシク!!
暑くて脳味噌溶けそう。
今日はニンビンの墨絵の世界へボートツアーに行ってきました。
もう出国が近いので、ややお高い遊びもこの際は可。
チャンアンとバイディン寺と、もうひとつなんだったか思い出せない寺。
![]() |
| バイディン寺遠景 |
18ドルのツアー代金を払って、体力を思うさま浪費してきました。
しかもボート代とか拝観料とかは別払いですから・・・
バイディン寺、でかかったです。
御本尊ですが、こんな感じ。
LEDで光ってるようにも見えますが、これは下からライトアップしているものが光背に載った諸々の仏に反射しているだけです。
実はフエを出てから神仏の電飾関係に変化がありまして、南部や中部に比べてグッと大人しくなっているんです。
家々の入り口にある祠も最低限の電飾しかないし、その祠自体がない家も多い。
仏さんがグリコの電飾看板状態というのが、この辺ではありえないのかも。
ともかくあとはチャンアン。
こんな感じの川をボートで上下します。
しかも三時間掛けて。
独りだと他のグループ客に居候させてもらう感じで、ちょっと肩身が狭い。
私が乗った船は他がベトナム人家族の五人で、私の前に小学5年生くらいのガキンチョが座りました。
ボート自体は漕ぎ手のおばさんが居るのですが、各船には3~4本のパドルがある。
で、このガキンチョが私にも漕げと五月蠅いことこの上なし(笑)
彼はパドルで漕いでると言うよりはバチャバチャ水を撥ね散らかしているだけで、それがもろに後ろの私に掛かるし、ピッチが一定しないのでこちらのパドルが息を合わせられずにガンガンぶつかる。
なぜ漕がないのかと私の判らん言葉で文句を言う彼に、私も彼の判らん言葉で「ガキが命令してんじゃねーよ」「お前が止めたら俺が漕いでやる」
と言い返す。
私は大人ですから。
大人ですから、私の方が彼と同じガキンチョレベルへと、わざわざ足を運んであげてコミュニケーションをとらなきゃいけません、よね?
こうして彼が漕いでいる間は私がサボり、彼が疲れると私が漕ぐという麗しい分業体制が出来上がって、通常の3倍のスピードとはいかないまでも1.03倍くらいのスピードで船は進みます。
ところへ彼ら家族の仲間の船が二隻急接近してきて、事態はドラゴンボートレース状態に。
はじめはアホらしさのあまり、ガキンチョの「外国人、お前も漕げ」コールにソッポを向いていた私でしたが、敵船の客たちの満面の笑みを見るにつけても腹が立ち、最後はパドルを握って俄然奮闘。
最終的には我が船の勝利に終わることを得ました。
これ、なんのため?
15万ドンも払って景色をゆっくり見ようと思っていたのに、汗だくになってボート漕ぎ。
最後に岸へ上がったとき、件のガキンチョが私を振り返って「サンキュー」と言ったので、しかたがない「グッジョブ」と返しておきました。
おじさん疲れました。
疲れたので、今日は寝ます。
でも、ニンビンの観光は良かったですよ。
手頃な料金で日本にはない風景を堪能できました。
明日はいよいよ終着点、ハノイ。
就職機会をタダでくれるという・・・もういいか。
日本帰国まで、あと6日!!
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