疲れてるかも。
ちょっと微熱があるんだと思います。
毎年、この季節になって疲労が蓄積すると、ふだんは35.8℃くらいの体温が37.5℃くらいに跳ね上がります。
仕事中など動いているときには気づかないんだけど、立ち上がった拍子にフラッとするときがあって、でも秋になると治っちゃう。
昨年は規則正しく昼間だけ働いていたから大丈夫でしたが、一昨年は昼・夜のダブルワークに時折徹夜現場を入れたりした結果が平均体温が38℃になってしまい、死ぬほど体調が悪くなりました。
死ななかったけど・・・
ま、睡眠時間を十分にとれば大丈夫でしょう。
ときに昼間ゴロゴロしている欧米人観光客の件ですが、よく考えてみたらあれって時差ボケの影響もあるんでしょうか?
ただ、ここシェムレアプでは朝の出足こそ遅いものの、欧米人達も昼間からアンコール・ワット周辺を精力的に動いています。
(夜もパブ・ストリートというお洒落な飲み屋街で精力的に遊んでいらっしゃいます)
さすがに世界遺産は伊達じゃない。
さて、今日はそのアンコール・ワットとアンコール・トムへ行ってきました。
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回廊のレリーフ |
レンタル(1日3ドル)の自転車漕いで。
アンコール遺跡の感想ですか?
余所で訊いてください。
私もフツーの人なんで、皆さんが言ってるようなことしか感想を持てません。
ところでアンコール・ワットの中を歩き回っていて、ふと気づいたこと。
誰か日本人の落書きに印を付けている奴がいる・・・
世界遺産に落書きもないもんですが、実際にはけっこうな落書きがあります。
日本人の「落書き」としては、江戸時代初期の武士・森本右近太夫のものが有名だそうです。
これは見てきました。
内容は親の菩提を弔いに遙々と“祇園精舎”まで来た趣旨を書いたもので、十把一絡げに「落書き」といってしまうのは可哀相な気もします。
ま、勝手に自分の都合を書いちゃいけない場所ですけど。
森本右近太夫、ブログを書けよ。
「ハーイ!日の本の皆様達者でござるか?拙者は祇園精舎でござるよ」
このいちばん有名な落書きに印はないんだけど、時折青くチョークかなんかで柱に彫り込んだ文字を浮かび上がらせたところがあって、それがかならず日本人の落書き。
明らかに日本語が読める奴の仕業。
なんでしょう?
読みやすいのをひとつ挙げときましょう。
「昭和三九年 富山 坂井正樹」とあります。
西暦で1964年ですね。
もうひとつ「一九五〇 岩井」です。
岩井さんの場合は、当時20歳としても現在は85歳。
坂井さんは同じ条件なら70歳です。
実際は、もっと御歳なんじゃないでしょうか。
これらは落書きとして非難されても仕方の無いものですし、実際に落書きなんですが、書いた(というより石柱に彫り込んだ)本人の気持ちになってみますと・・・
その当時のアンコール・ワットって、地元民が知ってる程度の幻の遺跡群で、アクセスもほとんど整備されておらず、外国人など研究者ていどしか訪れることのない「秘境」だったはずです。
そんなところにどうしてかやってきた日本人。
観光客の姿もない廃墟の中で、こう思ったんじゃないでしょうか。
何百年先のことか、いつかここに日本人が来るようになったとき、かつてここを訪れた同じ日本人がいたことを知ってもらいたい。
それは「俺の方が先だぞ」というような功名心ではなくて、そういう未来の同胞とこの廃墟の中で繋がりたい、あとに来る者にこんな廃墟の中でも繋がりを感じてほしい、そんなものだったんじゃないでしょうか?
それほどまでに静かな廃墟だったのでは?
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中国人の風雅な落書き |
京都のお寺で修学旅行生が、学校名・学年・名前を国宝に書いちゃった、みたいなものとは違うと私は思います。
あれはたくさんの観光客が目に触れるところにわざわざ書いた、幼い自己顕示欲の所産です。
でも、太陽とジャングルだけの人気のない廃墟の中で、ついには来ないかもしれない人に向けて書き残すのは、もうすこし純な気持ちがあるような。
当時はそこが世界一有名な遺跡のひとつとして、海外から観光客が押し寄せるなんて想像もしなかったでしょうし。
それくらい、その「落書き」を書いた人の見た風景と、読む私たちの見ている風景は異なったものなんじゃないでしょうかね。
まぁ、落書きは落書きなんで、弁護はしませんけど。
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弾痕でしょうね |
明日は体調が良ければアンコール遺跡攻略二日目です。
では、また明日!
日本帰国まで、あと46日!!
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