2015-05-30

ヤンゴン追想1(ダラ)

夜は寝るだけだった体調の悪さも一段落。
寝る前の時間が余ったので、少しヤンゴンを追想しましょう。

ヤンゴンでは、昼間まる二日間を行動しました。
初日はテンションが上がりすぎて25キロ、翌日はリバウンドの来た身体にムチ打って15キロを踏破。
計40キロ歩いたから、なんとなく町の形がわかったよ。

さて、歩き回っていろいろなことが判明。
ヤンゴンにバイクが走っていないのは、渋滞を避けるために市街へのバイク侵入が禁止されているんだそうで、市内を出たとたんに溢れるバイクの姿を目にしたとき、あぁやっぱりここも東南アジアだった、と納得したのでした。
そのあたりの風景は、タイとあまり変わりません。
ただ、思うにここまで徹底したバイク追放が実現できているという点で、法律ではそうなんだけど現実にはね・・・という状況にないのはアジアらしくないような。
その辺は想像・憶測の範囲だけど、かの軍事政権が決めて、ギュッと強権的にやっつけちゃったとか、そんな気がします。
溢れていたバイクが首都から消えるなんて、よっぽど怖かったのか軍事政権。

さて、15キロ歩いた日の午後にヤンゴン川の渡し場から向こう岸のダラという農村部へと散策に出掛けました。
フェリーは3隻あって、名前は「チェリー1」「チェリー2」「チェリー3」。
現地人は格安ジモティー料金ですが、私はガイジン料金で往復4ドル、または5000チャット。
船は日本からの寄付だというのですが、おおかたODAなのでしょう。
で、ダラの入り口の様子がこれ。


もうヤンゴンとは別世界。
仏教寺院があり、モスクがありと人種様々なミャンマーローカルな世界です。
つまりヤンゴンだけが特別な世界だったのね。

さすがに歩き疲れてたので、ここでサイカーをチャーター。
サイカーって上の写真のサイドカー付き自転車です。
蚊のように群がってくるサイカー乗りを蹴散らし蹴散らし歩くこと10分、ようやく誰もよってこなくなったった所で若い兄ちゃんを捕まえて交渉。
「1時間いくら?」
「3000チャットです」(300円)
「高くない?」
「相場ですよぉ」
という感じで、たぶんボラレてるんだと思うけど・・・
連れていってもらったのは地元民の市場(ちょっと余所者には入れない雰囲気のとこだったのでありがたかった)から農村風景へ。


「続いてバンブーハウスをお見せしましょう」
彼の言うバンブーハウスって、割った竹で組んだ壁にニッパ椰子の葉で屋根を葺いた伝統家屋。
でも、なんだかすこし荒んだところだなぁと思っていたら・・・
「この辺の家、みんな津波で流されてたくさん人が死にました」
えぇぇぇっっ!? 津波!?
「ユニセフの援助でバンブーハウスができました」
あぁ、スマトラ島沖地震の。
「記念写真とりませんか?」
え?マジで撮らせんの?
「ワタシ、ニホンジン。ツナミノ記念写真、イラナイ」
「そっすか、じゃ次はフィッシャーマンの村へ」
で、下がフィッシャーマン(漁師)集落。

漁師たちがヤンゴン川の渡し船をかねているようで、小さな渡し場から頻繁に船が出ていきます。
でも、これは外国人の利用は禁止。
渡し場にはバイクのやたら停まった茶屋があって、どこかで見た光景だと思ったら、日本の田舎駅前によくある自転車預かり所に相当するものなのでした。
ヤンゴンに出勤する人たちが、ここでバイクを預けて小舟で河をわたるんですね。
ちょうどスコールに襲われたので、川向こうにマンハッタンのように聳える首都のビル群を眺めながら20分ほど茶屋で休憩。
サイカーの兄ちゃんが川向こうを眺めつつ言ったこと。
自分は27歳で妻と一男一女と暮らしている、夢はいつかあのヤンゴンで暮らすことだ、とそんな話。
なんかどこか辺境の星に降り立った鉄郎少年になったみたいな気分(メーテルいませんが)。
渡船場より見たヤンゴン市街と渡し船
ヤンゴン側の民間船着場
夢とはいっても、彼が使った言葉はDreamではなくplanで、互いが母国語以外の言葉で会話している以上はDreamとplanの違いを必要以上に受けとることは間違いなのかもしれないけれど、やはりそれでも彼の「意思」というものは感じられた。
まぁ、たぶんに若者の無邪気な願望の香りがしたけれどね。
その年齢ならハングリーに越したことはない。

その後、帰りがけに家を見ていかないかと誘われて、兄ちゃんのお宅訪問。
気軽にいったのだけど・・・そこは巨大な工場の裏門前の湿地にへばりついた、まさにバンブーハウスで、一坪ほどのどろどろ床の居間の向こうに半畳ほどの炊事場があるだけの小屋だった。
「で、隣の小屋がお母さんの小屋、反対側はお姉ちゃん夫婦の小屋」
心中思ったこと・・・値切らなくて良かったぁぁぁぁ。
「うちはお父さんが津波で死んじゃってね・・・」
あ、そーなんだ。
おじさん、そろそろフェリーで帰りたいです。

ミャンマーのマンハッタンに戻る船のなかで、けっこう複雑な気持ちにさせられちゃいました。
あの歳で妻子がいて、老いていく母がいて。
このまま彼も子供たちもハングリーになっていくのだろうか、と。
ヤンゴン川のダラ側よりヤンゴン市街を望む

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