2015-06-28

チュムポーン夜話

チュムポーンという町に来ています。
ここもタイの田舎の地方都市。

朝9時にスラー・ターニーの宿をチェックアウト。
鉄道駅は市街から14キロ西、バスターミナルも8キロ西。
となると鉄道は論外(運行本数がシャレにならないほど少ない)で、バスも乗るまでが大変だと思うと、自然に足はミニバス(ロットゥーと言うそうで)のターミナルへ。
タラート・マイ通りからソイ・タラート・マイ31の路地に入り、ターミナルを左に見ながら行きすぎた突き当たり右角が、チュムポーン行きのミニバス事務所。
ターミナルの外ですね。
170バーツ。
9時45分発で、チュムポーン市街ど真ん中の終点着は12時半でした。

でもね、ミニバスは便利で速くて(120キロで街道を爆走します)いいんですがね。
乗っていてつまらないんですよ。
ロングワイドのハイエースとはいえ、ドライバーも含めて13人が鮨詰めだし、着座ポジションが高くて窓の外がよく見えないし、しかも多くの客がカーテン閉めて寝ちゃうし。
なんだか走って、着いて、ここはどこ、みたいな。
しかも連日乗ってると交通費がバカにならない。
困ったもんだ。

今日も体調は本調子にほど遠く、昼間のチュムポーンの街並はサラッと6キロほど散歩して、宿に戻って15時から18時まで寝ちゃいました。

ここはタオ島への出発点になっているので、アイランドリゾートに向かう白人どもがドミトリーでゴロゴロしています。
どういうわけか連中は昼間は宿でゴロゴロ寝ていて、夕方から元気になって酒を飲みに行く(笑)
昼間の街も観ておきなさいよっ、て(笑)
チュムポーン中心部 
さて、今日は夕方から宿前のカフェでコーラ(20バーツ)を飲みながらKindleで電子書籍を読んでおりました。
意外ッスか?
持ってますよぉ、それくらい。
というのも白状すれば今回の旅行のために買いました。
三ケ月の間に読む本をリアルに持って行ったら、とんでもない重量になりますから。
先週までは森見登美彦を読んでいて、数日前より青空文庫版の泉鏡花大全を読んでます。
まじめに鏡花を読むのは20年ぶり。
「眉かくしの霊」が読みたくて。
あの雪国の寒さの底に沈んだ重たい湿気の世界が大好きなのです。
新潟育ちなものですので。
話としては纏まりの悪い不出来な部類だと思うんですが、作中の空気が慕わしい。
どういうわけか海外にいるときは、こういう和風のものを持ち出して親しんでしまう私なのでした。
ちなみに本日読んでいるのは「照葉狂言」。
だんだん暮れ往く異国の街路で鏡花を読みながら、露店の灯がひとつ、またひとつと増えていくのを眺めていると、作中の世界が堰を切ったように周囲に流れ出してくる瞬間があって、こうしちゃ居られんとKindle片手に夜市の漫ろ歩きに誘われてしまうのです。
(酒も入っていないのに・・・なんでしょ、この麻薬感)
スイーツ屋台 


さて、屋台はタイに限ったことではないのですが、それでもタイの屋台はスゴいなと思わされます。
何がといって、その設営と撤収の見事さについて。
ついさっきまで戦場のごとき朝市があったと思っていたら、昼過ぎには廃墟のごとく閑散としただだっ広い通りに戻っていたり、光に満ちた眩いばかりのナイトマーケットが、翌朝通ったときには痕跡ひとつない歩道に還っていたり。
まるで狐に摘まれたような・・・
たしかにあそこにあった喧噪とざわめきは白々とした朝の光にかき消されて、その道を踏みつつ次の街へと進むのも、また今夜の幻を楽しむため。
その繰り返しの旅路です。
閑話休題。
こちらの屋台と日本の屋台の違いがひとつ。
といっても電気のない昔は同じだったんでしょうが、いまは電気を巡って大きな雰囲気の違いがございます。
それはなにか?
発電器の有無です。
日本の夏祭りの屋台と言えば、笛や太鼓の音と共に喧しい発電器のエンジン音が誰しもの耳の奥に風物詩として刷り込まれていると思います。
でも、こちらではそういうノイジーな風物詩はありません。
なんでか?
下の写真をご覧ください。
ちゃんと電柱から電気を引っ張っている(笑)
しかも電柱自体にメーターまでついてます。
もうデフォルトで露店が出せるような仕組みになってます。
この辺が道路使用許可の関係で、露店が道路の一時使用扱いになっている日本との違いですね。
どっちが良いとはいいませんが、夜店といって思い浮かぶ風景のBGMがこんなところから違っているというのも面白いと思います。
(俺だけ!?)
明日は180キロ北のプラチュアップ・キーリーカンまで移動の予定。 ミニバスではなく、久しぶりの鉄道で行ってみようかな。 日本帰国まで、あと56日!!

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